「医」の最前線 行動する法医学者の記録簿
海難事故、複数死の検視・検案に備える
~長崎大と海保が締結した類例ない協定~ 【第6回】
◇警察や歯科医会、科捜研との連携重要
中国人乗組員については、日本国内で本人を識別できるDNA資料を入手するのが困難だったため、海保が中国まで家族のDNAを採取しに行った。
具体的には、綿棒で口腔粘膜の細胞や唾液を採取する内容だが、大分大学法医学教室の教授だった岸田哲子氏の講演をまとめた日本法医学雑誌によると、現地での実際の採取作業と説明は、「山田丸を所有する水産会社の中国人通訳が行った」としている。
作業台船から網走港に陸揚げされる観光船「KAZU Ⅰ(カズワン)」=2022年6月1日、北海道網走市【時事通信社】
山田丸の沈没や、今後も起こり得る複数の死者が同時発生する海難事故は「大栄丸の時のノウハウがある」(池松教授)とはいえ、時間が経過してから収容された遺体の身元特定や、乗組員が外国人の場合は相当な手間がかかることは間違いない。
また、海保、法医学教室、県警、警察嘱託歯科医会、県警科捜研などの連携や日ごろの協力関係がいかに重要かを物語っていると言えるだろう。
2022年4月に北海道・知床半島沖で20人が死亡、6人が行方不明となった観光船「KAZU Ⅰ(カズワン)」の沈没事故は、協定締結に向け、長崎大と7管本部の協議を後押しする契機となった。
また、締結直前の23年1月には、長崎県男女群島西方の公海上で香港籍の貨物船が沈没し、救助された乗組員13人のうち8人が死亡する事故が発生。遺体を長崎大に安置して死因の特定が行われるなど、協定の必要性を改めて認識させるケースとなった。
◇大災害はいつでも起き得る
池松教授は、協定締結により7管本部が長崎大の施設や設備を公式に使えることになった意義は大きいと強調する。遺体を搬送する車両の導線も考慮して、解剖室のある建物に隣接する駐車場は全面的に提供し、テントなども立てる計画になっているという。
解剖台を1台増設し、2台にしたほか、解剖室だけでなく、手前の廊下も照明を太陽光と同じ明るさのものに変えた。多くの遺体が同時に搬送された場合、ストレッチャーを使ってそこでも検視・検案が行えるよう、いざという時に備えた。
インタビューに答える長崎大学の池松和哉医学部長=2023年4月24日、東京都中央区【時事通信社】
「長崎では過去に(報道関係者や消防団員ら)43人が犠牲になった雲仙普賢岳の火砕流もあった。(多数の人が死亡する)大災害はいつでも起き得るし、それに対する準備はしておく必要がある」。池松教授は、搬送されてくる遺体が100までであれば、法医学教室で十分対応できると考えている。
「一番気を付けなければいけないのは、遺体の取り違え。そこだけは3回も4回もチェックして、復唱もするように。その人を確実にご遺族に返すのが私たちの役目なので」。態勢を整える上で、絶対に欠かせないポイントをきっぱりとそう述べた。(時事通信解説委員・宮坂一平)
(2024/06/04 05:00)
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