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過疎の村で老いる 第13回

 ◇尊厳が保てる日まで…

 苦情を受けたのは、村唯一の地域包括支援センターだ。同センター職員の杉本君枝さんは「たとえ心身に変調を来しても、この村に居たいと思えば可能な限り住み続けてほしい」と、足しげく兄弟の家に通った。

 「雨が降れば流されていないか、雪が積もれば埋もれていないか、風が吹けば火の始末は大丈夫だろうかと心配で、何度も様子を見に行きました」と杉本さんは言う。

 そして、数年がたつ。杉本さんは「もうこれ以上は、人としての尊厳を保つことができない」と思われたその日まで、兄弟の住み慣れた地での暮らしを守り抜いた。

 ◇自由に選べるサービスはない

 南東北地方に、高齢化率が6割に迫ろうという村がある。一時は5千人に近かった人口も千人あまりに減少した。山が幾重にも重なり、村と接する自治体とは峠で結ばれている。豪雪地帯。幾つかの峠は雪で閉ざされる。

 介護保険はそれまでの行政措置とは異なり、利用者の自由選択に基づく契約でサービスを選ぶことができる制度だ。ところが、この村には自由に選べるサービスはない。デイサービスが1カ所、ヘルパーサービスと診療所がそれぞれ2カ所のみである。

 ◇頼りは高齢者の生活力

 社会資源の少なさは、医療や介護のサービスだけに限ったことではない。スーパーもコンビニもなく、居酒屋も村に1軒あるだけだ。鉄道はなく、バス停の表示版には、1日3往復の時刻表が寂しげに掲げられている。若者たちは次々に村を去り、高齢者たちが村を守る。

 そんな環境の中、何を武器に要介護高齢者の支援を行うのか。

 「村のお年寄りには、私たちが及びもつかない生活力があり、人と人との強固な結び付きがあります。それだけが頼りです」

 そう語るケアマネジャーの富田恭治さんは「でも、加齢とともに生活力には限界が訪れ、かつて結び付いていた人も、一人、また一人と歯が抜けるように居なくなっています」と寂しげに続けた。(了)

 佐賀由彦(さが・よしひこ)
 1954年大分県別府市生まれ。早稲田大学社会科学部卒業。フリーライター・映像クリエーター。主に、医療・介護専門誌や単行本の編集・執筆、研修用映像の脚本・演出・プロデュースを行ってきた。全国の医療・介護の現場を回り、インタビューを重ねながら、当事者たちの喜びや苦悩を含めた医療や介護の生々しい現状とあるべき姿を文章や映像でつづり続けている。中でも自宅で暮らす要介護高齢者と、それを支える人たちのインタビューは1000人を超える。

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