ダイバーシティ(多様性) Life on Wheels ~車椅子から見た世界~

社会が生み出す「障害者」
~7年ぶりの日本で「逆カルチャーショック」~ 【第8回】

 こんにちは。車椅子インフルエンサーの中嶋涼子です。

 先日行われた東京五輪・パラリンピック2020は、大会に向けて交通機関や公共施設のバリアフリー化が進み、障害者の存在にも関心が高まりました。でも、私が7年間の米国留学を終えて日本に帰国した2012年はハード面でもハート面でも、まだまだバリアーが多く、自分が生まれ育った国なのに生きづらいと感じる「逆カルチャーショック」を受けることが何度もありました。

東京パラリンピックの聖火リレーに参加

 ◇「障害者」に逆戻り

 成田空港に到着してすぐのことです。トイレに行こうとしたら普通の女子トイレは狭くて車椅子では入れず、多目的トイレを探すことになった時に、早くも自分が障害者であることを思い出しました。7年間暮らしたロサンゼルスには多目的トイレという概念がなく、男女それぞれのトイレに手すりの付いた広い個室が必ずありました。なので、多目的トイレを探すという行為を忘れていたのです。

 またアメリカでは、どんな施設にもエレベーターがあり、車椅子の導線も設けられていたので、成田空港で健常者とは別のルートで出口まで案内された時にも、「そういえば私、車椅子だったんだ」と思い出しました。

 久しぶりに車椅子で東京の街に出ると、いろんな人が珍しそうにこっちを見てくるので、目が合った人に笑い掛けたら目をそらされて、びっくりしました。アメリカ人のように街なかで人と目が合っても、気さくに笑顔であいさつすることもないし、車椅子のことを聞いてくる人なんていなかった。

多様性をテーマにした東京パラリンピックの閉会式(AFP時事)

 その時に感じたのです。私自身は何一つ変わっていないのに、環境が変わると自分が障害者であることを認識してしまう。それって、社会が障害を生み出しているのかもしれない。もし日本がアメリカのように障害があっても、どこへでも一人で行けたり、気軽に声を掛け合い、助け合うことができたりする国なら、障害があってつらいとか、マイノリティーであるという自覚は消えて、みんなが生きやすくなるのではないかと。

 日本でしか暮らしたことのない障害者は、自分はみんなとは違うから、移動するにも普通の何倍も時間がかかるのは仕方がないと思うかもしれない。でも、そんな窮屈な思いをしていたら自信がなくなって当たり前だ。昔の自分もそうだった。そんなふうに客観視できました。

東京パラリンピックの閉会式では車椅子でパフォーマンスに出演

 ◇映画会社に就職

 帰国後1年間は、友人と自主映画を作ったり、映画祭に出品する映画制作に参加してみたり、フリーランスで映像編集の仕事をしたりしていました。その後、アメリカで通っていた映画制作の専門学校(ISMP)の先輩の紹介で、日本の3DCGアニメーションの制作会社で働くことになりました。27歳で社会人として初就職です。

 立体的でリアルな映像作りに欠かせない3DCGのクリエーターには外国人も多く、通訳が主な仕事でした。応募者の面接に立ち会ったり、会議で通訳をしたり、クリエーター同士のコミュニケーションをサポートしたり。アメリカで身に付けた英語力と映画の知識を使って毎日必死に働いて、気付いたら2年たっていました。

 その会社は午前10時始業だったので助かりました。帰りも残業で午後8時以降になるので、ラッシュを避けて電車通勤できたのです。いろんな人と仲良くなり、外国人と知り合えることもできて、会社生活はとても楽しかったです。

 しかし、仕事に慣れてきた2年目に、ふと思い出しました。「私は映画の仕事をするためにアメリカで勉強したんだった。本当にやりたいのは、映画に携わることだ」と。ちょうどその頃、「FOXネットワークス」のウェブサイトで編集マンを募集していることを知り、すぐに応募。夢だった映画会社に転職しました。

 「FOXネットワークス」と言えば、私の人生を変えた映画「タイタニック」の制作会社であり、配給元でもある「20世紀フォックス」と同じFOXネットワークグループの傘下です。人生を変えてくれた映画と関係のある会社に就職できたことは、人生でも5本の指に入るくらいうれしくて、「タイタニック」を見た当時、「自分もいつか作る側になって、人にパワーや希望を与える人になりたい」と思った夢がかなった気がしました。

車椅子での通勤はつらかった

 ◇大変だった通勤ラッシュ

 こうして始まった編集マン生活ですが、やはり仕事は大変でした。仕事内容だけでなく、通勤がなかなか大変。毎朝毎晩、通勤ラッシュ時に電車に乗り、駅で乗り換えをして移動する。階段を使えれば、すぐに違う路線のホームへ行けるのに、エレベーターは遠い場所にあり、何度も乗り継がないといけない。エレベーターに乗ろうとすると、歩いている人たちが先に乗ってしまう。エレベーター待ちをしているだけで、乗り換え案内に出ている乗り換え時間の3倍はかかってしまいます。

 電車に乗る時は駅員さんにスロープを出してもらうのですが、降りる駅にも連絡して駅員さんにスロープ板を用意しておいてもらわなければいけません。連絡するのにも時間がかかり、20分待つこともしばしば。それがわずらわしくて、ある日から駅員さんに言わず、勝手に電車に乗ることにしました。

 近くにいる人に「車椅子押してもらえますか?」と声を掛けると、みんな最初はびっくりしますが、恐る恐る車椅子を押しながら前輪を上げて電車に乗るのを手伝ってくれました。たまに、「は? 駅員さんに言えば?」と怒る人もいて怖かったのですが、「手伝いましょうか?」と先に声を掛けてくれる人もいました。

通勤ラッシュ時に駅を車椅子で移動するのは容易ではない(AFP時事)

 通勤ラッシュ時は、みんな急いでいたり、ストレスがたまっていたりして、どうしてもお互いを助け合うのは難しいんだなと感じました。ある時は電車の中で、おじさんの足に車椅子が当たってしまっただけで、「ふざけんなよ!」と怒られたり。狭いホームを移動中に、おじいさんの足を車椅子の前輪で踏んでしまい、「ごめんなさい!」と謝っても、「ふざけんな! お前らみたいなクズがいるから世の中ダメなんだよ!」と叫んで追い掛けてきたり。逃げながら駅員さんに助けを求めても、急いでいる駅員さんはどこかに行ってしまい、周りの人は見て見ぬふり。人間の怖さみたいなものを感じることもありました。

 「私は社会のお荷物なのかなぁ」「きょうは何回『すいません』て言っただろう」「あと何回『すいません』て言えばいいんだろう」「みんな『車椅子、面倒』と思って接しているのかな」。通勤するうちに勝手に壁を作り、ちょっとずつ昔のネガティブな自分に戻っていってしまいました。

排便の苦労を語ったYouTube動画は40万回以上再生されている

 ◇便座に座り続ける「ウンコデー」

 会社でも問題がありました。「FOX」が障害者を雇うのはこの時が初めてで、面接では「障害者雇用を積極的にしたいと思っていたので、必要なことがあったらなんでも言ってくださいね」と前向きに受け入れてくれました。しかし、職場の同僚に自分の障害について全てを話すには勇気が必要です。彼らの多くも障害者と一緒に働くのが初めてだったようで、どう接していいか分からない様子でした。

 もちろん編集チームのメンバーとは飲みに行ったり、ご飯に行ったりしてコミュニケーションはうまく取れていました。でも、みんなには当たり前のことが私にとっては当たり前ではないので、理解してもらえないこともありました。

 例えば、私はトイレに行くたびにカテーテルをして排尿するので時間がかかります。たまに尿漏れしていて服までぬれていると、トイレで服を洗うことになります。便を漏らしていたこともありました。

 何事もなかったかのように職場に戻り、「遅くなってすみません」と言うと、何も知らない周りの人に「遅いね」と言われたり、仕事が遅いことを注意されたり。事情を知らないのだから、それは当たり前。そして私は漏らしてしまった悔しさを隠しながら仕事をするのです。

 面接の時、トップの方に「UD」について相談しました。「UD」とは私が勝手に作った言葉で、「ウンコデー」の略です。私は「横断性脊髄炎」という病名で、おへそから下の下半身がまひしており、自力で足を動かすことができません。車椅子に乗っているから、それくらいは見れば分かりますよね。

 実際は、それだけではなく、おへそから下の感覚が全くないので、自力で排せつすることができません。尿意も便意もないため、排尿は数時間置きにトイレに行き、排便は3日に1回下剤を飲んで便を出さなければいけないのです。

 下剤を飲んでも、便がいつ出てくるか、そして出ているかどうかの感覚もないため、下剤を飲んだ翌日は、ずーっとトイレの便座に座って便が出るのを待っているんです。ただ、ウンコをする日。それを「ウンコデー」、略して「UD」と名付けました。

 そのことを打ち明けたら、水曜日を固定休日にする代わりに日曜日に出勤にするという、フレキシブルな対応をしてくれたので、水曜日と土曜日をUDにしました。

 しかし、ここでも問題が。休みの日に遊びや飲み会のお誘いがあっても毎回理由を作って断ったり、「休みの日は何してたの?」と聞かれて、「一日ウンコしていました」とも言えず、いつも「休んでましたぁ」と適当にうそをついたり。飲み会や友達とのご飯も会社帰りにしかできません。

 ちゃんと体を休ませる日が作れないことや、先輩や同僚にうそをつき続けるのがつらくて、自分から壁を作っていました。「言っても分かんないだろうし、みんなは歩けていいよな、休みの日は遊べて」。一人でストレスをため込み、「障害者として社会で働くのって、こんなにつらいんだな」と感じてしまいました。

 だんだん通勤生活に限界を覚え、遅刻したり早退したりすることが増えていきました。とどめは冬休み中の事故。大みそかに家の大掃除をしていたら車椅子が配線に引っ掛かり、転げ落ちそうになった体を手で支えようとして、脱臼癖のあった右肩を完全脱臼してしまったのです。元日から救急車で運ばれ、全治1カ月。会社を休職することになりました。

 心身共に疲れ切って希望を失っていた時に、また運命の出会いがあり、私の人生は激変するのです。(了)

中嶋涼子さん

 ▼中嶋涼子(なかじま・りょうこ)さん略歴

 1986年生まれ。東京都大田区出身。9歳の時に突然歩けなくなり、原因不明のまま車椅子生活に。人生に希望を見いだせず、引きこもりになっていた時に、映画「タイタニック」に出合い、心を動かされる。以来、映画を通して世界中の文化や価値観に触れる中で、自分も映画を作って人々の心を動かせるようになりたいと夢を抱く。

 2005年に高校卒業後、米カリフォルニア州ロサンゼルスへ。語学学校、エルカミーノカレッジ(短大)を経て、08年、南カリフォルニア大学映画学部へ入学。11年に卒業し、翌年帰国。通訳・翻訳を経て、16年からFOXネットワークスにて映像エディターとして働く。17年12月に退社して車椅子インフルエンサーに転身。テレビ出演、YouTube制作、講演活動などを行い、「障害者の常識をぶち壊す」ことで、日本の社会や日本人の心をバリアフリーにしていけるよう発信し続けている。

中嶋涼子公式ウェブサイト

公式YouTubeチャンネル「中嶋涼子の車椅子ですがなにか!? Any Problems?」

【関連記事】


ダイバーシティ(多様性) Life on Wheels ~車椅子から見た世界~