特集

アメリカ留学で街づくりに関心
再建の立役者、島田信也病院長
~熊本総合病院の軌跡と奇跡〔5〕~

 ◇アメリカで本領発揮

 生まれ変わったかのように勉強に精を出し、論文を書いて、33歳でアメリカへ渡った。「私は田舎もんだからですね、初めてワシントンDCに降り立ったとき、その街の在り方にびっくりして腰を抜かしました。イギリス、フランス、イタリア、オーストリア、スペインなどのいいところをすべて造られている。1回見て、これはただものじゃないと思いました。街の人はみな親切。環境が人を変えるんだと思いました」

アメリカ国立衛生研究所(NIH)時代

アメリカ国立衛生研究所(NIH)時代

 最高の環境の中で過ごしたアメリカ国立衛生研究所(NIH)での4年間は島田氏にとって、人生のターニングポイントとなった。「最初はタコ部屋みたいなところで仕事をしていたんですが、結果を出したら研究室を一部屋与えられました。NIHで個人専用の研究室を与えられるのは大変なことなんですよ。それくらい頑張りました」

 当時はがんの分子標的治療の研究が盛んで、消化器外科医の島田氏の研究テーマは、胃がんの分子標的治療だった。「がん細胞をインターフェロンで刺激したとき、出てきた分子を抽出してDNA構造まで決定したんです。結局は特異的分子ではなかったんですけど、ボスが認めてくれて、『もしかしたらノーベル賞かも』と言われた夢のような時もありました」

 NIHでは、地位が上がるにつれ、給料のみならずバケーションも増えるシステムだった。島田氏はその休日の時間を使って、ワシントンDCの街を歩いた。「ワシントンDCは1700年代に、ランファンという人が設計して作った街なんです。建物は石造り。この街を見て、熊本の街はなんちゅう計画性のない街だと思いました」

1980年代のワシントンDC

1980年代のワシントンDC

 このときの体験が、島田氏が街づくりに強い関心をもつきっかけとなった。

島田信也病院長プロフィル
1955年 熊本県八代市生まれ。
  80年 熊本大学医学部卒業
  88年 米国ワシントンDC 米国立衛生研究所(NIH)米国国立癌研究所(NCI)主任研究員
  92年 三井大牟田病院外科医長
  93年 国立熊本病院外科医院
  95年 熊本大学医学部外科学第二講座助手
2001年 健康保険八代総合病院外科部長
  02年 熊本大学医学部付属病院第二外科講師
  03年 熊本大学大学院医学薬学研究部 消化器外科講師
  05年 熊本市立熊本市民病院外科部長
  06年 健康保険八代総合病院(現:JCHO熊本総合病院)病院長

【熊本総合病院】
1948年に病床数100床の健康保険八代総合病院として開設。段階的に増床され、2000年には14診療科、344病床にまで拡大した。その後、経営が悪化して次々に医師が辞め、患者数は減少の一途をたどった。熊本県内のつぶれる病院ナンバーワンとまでささやかれたが、06年に病院長に就任した島田信也氏は徹底的な改革を断行。グループトップの黒字病院に生まれ変わった。新病院は、地域のランドマーク的な存在になり、街の活性化にも一役買っている。(中山あゆみ)(このシリーズは毎週金曜日に配信します)

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