医学部トップインタビュー

産学連携で可能性を広げる
地域基盤型教育を推進―滋賀医科大学

 ◇カニクイザルなど四つの重点研究

 医学研究では、アルツハイマー病を中心とした神経難病の研究、サルを用いた研究、生活習慣病の疫学研究、がん研究―の四つを重点研究と位置付けている。

 キャンパスには「ヒポクラテスの木」がそびえ、ギリシャの「医聖」の精神を伝える
 中でもサルを使った研究には伝統があり、カニクイザルという中型のサルを日本一多い約600匹飼育している。

 「通常、研究に使うのはマウスやラットですが、ヒトとでは系統的な差が大きい。そこで、遺伝子改変やゲノム編集でいくつかの疾患のモデルサルをつくって、ヒトの病気の研究に役立てようとしています。すでに筋萎縮性側索硬化症(ALS)、早老症、特殊な遺伝子変異によって起こるがんなどのモデルサルの開発を進めています」

 ◇人間性を培うために

 教育カリキュラムは、17年に日本医学教育評価機構の医学教育分野別評価の審査を受け、臨床実習時間を大幅に増やすなどの改定を済ませた。それに伴い、卒前卒後の教育を一貫して行うようなシステムをつくった。

 「学生時代の臨床実習が長くなったことで、初期研修で同じ内容を繰り返すことが出てきました。卒前卒後でいつ何をやるかを話し合い、シームレスな教育ができるよう工夫しています」

 また、解剖学の実習を通して、命を大切に扱う心を育てる倫理教育を開学以来、続けている。

 「献体された方の遺族と対面し、解剖が終わった後は、比叡山延暦寺で慰霊法要と納骨式を行うのですが、解剖学の実習を終えた学生全員が1日かけて参加します」

 ◇先天性疾患の研究にまい進

 塩田学長は三重県伊賀上野の出身。小学校4年生の時に父親を結核で亡くし、母親が生命保険の外交員として生活を支えた。自身も高校時代から縦郭腫瘍を患い、医療を身近に感じて育った。

 「経済的に余裕がなかったので、国立でなければ無理でしたし、なるべく近くということで京都大学医学部に入りました。ところが、2年生の終わり頃に学園紛争が始まって、授業がなくなってしまいました」

 「医師を目指すなら、進んで困難に立ち向かう人であってほしい」と塩田学長
 講義が開かれないため、研究室に通うようになり、先天異常学の研究に参加したのをきっかけに、そのまま研究の世界へ。脳の先天異常の研究に取り組み、ヒト胎児の疫学研究とマウスの実験で、発症原因の一因を突き止めた。

 「研究は簡単ではありませんが、仮説を立てて、それを証明できたときは非常にやりがいを感じました」

 ◇選ばれる医師に育ってほしい

 塩田学長は「人間が好きで人の役に立ちたいという人、病める人のために自分の力を発揮したいという人に、ぜひ来てほしい」と話す。さらに「成績が良ければ医学部へ」という受験指導には異を唱える。

 「世の中には面白い仕事はたくさんある。頭の良い人はもっといろいろな分野で仕事をしたらいい。患者さんと接するときには人柄が大切ですし、器用さや判断力も重要。医学部には、医師の仕事に適性がある人に入ってほしい。医師を目指すなら、進んで困難に立ち向かう人、進路に迷ったときには難しい方を選ぶような人であってほしい」

 また、今後の医療は機能分化が進み、医者も選別される時代になると予測する。「医療機関にも患者さんにも選ばれる医師になるためには、確固たる実力と優れた人間性を身に付けて、一生努力する必要があると思います」

 医療技術の習得だけでなく、深い教養と人間力を育てようとする滋賀医科大学の教育方針は、これからの時代、さらに重要になっていくのではないだろうか。(医療ジャーナリスト・中山あゆみ)

【滋賀医科大学 沿革】
1974年 滋賀医科大学開学
  75年 第1回解剖体慰霊式の挙行
  76年 本校舎(大津市瀬田月輪町)に移転
  78年 医学部付属病院を開院
      第1回解剖体納骨慰霊法要の挙行
  81年 大学院医学研究科の設置
2002年 動物生命科学研究センターの設置
  04年 国立大学法人滋賀医科大学に
      医療人育成教育研究センターの設置
  09年 医師臨床教育センターの設置
      神経難病研究推進機構の設置
  13年 アジア疫学研究センターの設置
  16年 神経難病研究センターの設置
  19年 アドミッションセンター、医学・看護学教育センターの設置





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