女性医師のキャリア

男性社会を強く生き抜く女性外科医
~ポジティブ思考の源を探る~ 女性医師のキャリア 医学生インタビュー


 ◇子育てのハンディ無くキャリアを重ねる

 娘と離れている当直の時に、睡眠時間を削って学会や学位論文の執筆に取り組みました。職場の恩師や同僚にも恵まれ、ハンディを感じることなく専門医、医学博士を取得し、キャリアを積み重ねることができました。

 娘が小2の時に現在の病院に赴任した後は、これまでのキャリアを少しずつ評価していただき、医局員から医長、副部長、部長、14年後の現在は副院長になりました。ステップアップのたびに、シングルマザーの自分が責任を果たせるのか悩みましたが、立場が上がれば時間の管理や業務の采配ができるため、子育て中の自分には有利に働きました。立場が上がると、しがらみで自由なことができなくなるという恐怖心も、大きなスケールで自分のやりたいことができるとポジティブに考えられるようになりました。

診察室の児玉医師

診察室の児玉医師

 ◇多様な個人のニーズを受け入れる社会

 今、自分のキャリアを振り返ってみると、日本社会が期待する女性像の枠組みの中で、家庭の形と理想の医師像にうまく折り合いを付けることができませんでした。これまで外科医の働き方に多様な選択肢はなく、「家事や育児は妻に任せられる男性」を基準とした働き方に無理に適応させてきました。これでは女性だけに過度な負担を強いることを繰り返してしまいます。

 今後、人口減少、高齢化社会が進み、労働力の不足はますます深刻になる中、医学部の女性の割合は増加しています。これは医師の働き方を根本的に見直し、良い方向へ転換する大きなチャンスだと思います。女性の力を発揮させるには、社会全体が子育て、介護、自身の病気療養、留学、他分野の勉強など多様な個人のニーズを受け入れ、両立できる勤務形態を創出する必要があります。このような職場は誰にとっても魅力的であり、離職を減らし、医師不足を解消し、研修医が集まり、働きがいのある文化が生まれ、好循環となるでしょう。医師の過重労働が改善すれば、医療の安全・質が向上し、患者さんに還元されます。

 ◇娘の医学部進学、病院全体の働き方改革へ

 現在、娘は地方の大学医学部に進学して1人暮らしを始め、私の子育ても一段落しました。これからやりたいことは、恩師から受け継いだ手術手技を次世代へ引き継ぐ仕組みを作ること、女性医師が気兼ねなく子育てと仕事を両立できるような病院全体の働き方改革の実践です。医療過疎で医師数が全国ワースト1であった埼玉県で医師を確保し、地域の患者さんが安心して医療にかかれる文化を根付かせるためにも、改革は待ったなしの段階に来ています。いち早く軌道に乗せて急性期病院のロールモデルになれるように頑張ります。(了)

聞き手:白川礁(帝京大学医学部6年)、文:稲垣麻里子、企画:河野恵美子(大阪医科薬科大学医師) 

【児玉ひとみ医師の経歴】

埼玉石心会病院 乳腺内分泌外科部長 副院長(医療安全)
1998年東京女子医科大学卒業。東京都立駒込病院で研修、東京女子医科大学病院を経て、2009年埼玉石心会病院勤務。13年4月乳腺・内分泌外科部長、21年から医療安全担当副院長。埼玉県では数少ない内分泌外科を得意とする。女性医師の子育て支援活動に尽力し、08年病院内に学童保育を立ち上げて注目される。

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