一流に学ぶ 難手術に挑む「匠の手」―上山博康氏

(第1回)イケメンの兄と「差別」され=座右の銘は「臥薪嘗胆」


 ◇子供時代「幸せでない」

 小学校時代は父親の仕事の都合で転勤が多かった。イケメンで愛想が良く、第一印象の良い兄は、どこへ行っても人気者だったが、上山氏は容姿コンプレックスと青森なまりをばかにされ、クラスにもなじめなかったという。

 しかし、中学入学後に受けたテストでは600人中1番。中学、高校の6年間、トップの座を降りることはなかった。

 「勉強はめちゃくちゃしましたよ。負けたくないから。でも、勉強して成績がいいのは当たり前ですから、人前では勉強しているところは絶対に見せませんでした」

 勉強した形跡を残さないため、教科書に赤線を引くこともしなかった。家族にも知られないよう、夕食後に押し入れの中で寝て、家族が寝た後の夜中の1時ぐらいに起きて勉強し、家族が起きてくる前に再度寝るという生活をしていた。

 「なぜって? 兄貴に勝たなきゃいけないから。それだけ恨みつらみで生きてました。絶対見返してやる、実力の世界でねじ伏せてやるって」

 かけっこも人知れず特訓して速かった。NHKでラジオ放送された全日本中学校放送陸上競技大会(現・全日本中学校通信陸上競技大会)では決勝まで進出。高校時代は100メートルを11秒3で走った。

 「走るのって一番分かりやすいでしょう。苦しくてきょう死んでしまうかもしれないと思っても、死んだら俺はそこまでの人生だと思って頑張りました」

 小学生時代からの座右の銘は「臥薪嘗胆(がしんしょうたん)」(復しゅうを成功させるために苦労に耐えるという意味の中国の故事成語)。「誰にも追随できない力を見せつけてやる」との思いだけで突っ走った子ども時代を「ちっとも幸せじゃなかった」と振り返る。(ジャーナリスト・中山あゆみ)

→〔第2回に進む〕学生運動で大学封鎖=古本屋通い読みあさる

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一流に学ぶ 難手術に挑む「匠の手」―上山博康氏