一流に学ぶ 天皇陛下の執刀医―天野篤氏
(第6回)型破りの「文武両道」 =苦手克服より得意分野
人付き合いが苦手なわけではなかったが、どちらかというと群れるのが嫌いで、単独行動が多い学生だった。
文武両道の天野氏らしく、勉強と同時にスポーツにも打ち込んだ。
「スキー部を辞めて大学2年からは硬式テニス部に入ったのですが、日本大学医学部というよりどちらかというと日本大学硬式庭球部所属の医学生というほど練習しました」
朝は始発電車で登校し、授業開始まで自主練習してから授業や実習に参加し、リポート提出を終えると、また練習、部活の正式な練習に参加した後も、さらに自主練習という毎日。終電を乗り過ごして弟に迎えに来てもらったこともあった。
1日24時間、完全燃焼する生活は、すでにこのころから始まっていたようだ。心臓外科医の激務を61歳になった今も続けられるのは、学生時代に体を鍛えていたからと言えるだろう。
(ジャーナリスト・中山あゆみ)
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(2016/12/19 12:31)