女性アスリート健康支援委員会 女子マラソンの夜明けを駆け抜けて
晴れの五輪「人生最大のショック」に
引きこもり、摂食障害も―増田明美さん
◇20歳の五輪「まだ幼かった」
20歳だった増田さんは、参加選手で最年少だった。暑さ対策として行った事前の調整合宿が裏目に出て、調子は上がらず、会社の壮行会欠席という騒動も起こした末に迎えた本番。スタートしてまもなく先頭に飛び出したものの、4キロ地点で早くも先頭集団に追い越され、次第に離された。16キロ付近で立ち止まり、途中棄権した。
「幼かったんですね。先頭を走っていれば、そのまま気持ちよくゴールできる人間だった。でも弱い自分が途中で出てきて、レースを投げてしまったんです。日本代表として出たオリンピックの舞台なのに」。一緒に五輪に出た28歳の佐々木七恵選手が粘り強い走りを見せ、19位で完走しただけに、その「失敗」が際立った。
日本に帰国すると、通りすがりの人から浴びた「非国民」という罵声が、胸に突き刺さった。「人生最大のショックで、人の目が怖くなりました。会社の寮に3カ月間、閉じこもっていました」
◇心満たされず、ゆで小豆に執着
レース後、五輪の選手村に残り、傷心の日々を過ごしていたころから、増田さんには摂食障害と思われる兆候が表れていた。「選手村の食堂に、五輪のスポンサー会社のチョコレートが山ほどあったのを、やけ食いしました。食べ過ぎて、気持ち悪くなって吐くの。摂食障害になる人の気持ちは、私はよく分かります。自分の心が満たされないと、食べ物で満たそうとするんです」
寮の部屋の電話線を抜いて閉じこもっていた間、支えになっていたのは「太ってはいけない」という気持ちと腹筋運動だったという。布団を敷いてあおむけに寝て、膝を立てて、2時間30分30秒という自分の日本記録と同じ時間、腹筋を繰り返した。「ノンストップで5660回くらいかな。やり終わって、ものすごくおなかがすくと、ゆで小豆を食べるんですが、罪悪感もあって吐き出したりしましたね」
摂食障害がすっかり治ったと実感するのは、2年後、長距離ランナーとしての再起を懸けて米オレゴン大学に留学し、人間性豊かな心を持つトップアスリートの仲間と出会ってからだ。ブラジル人のルイーズ・オリベイラコーチは「良い結果は、生きていてハッピーだと思える時に、自然に生まれるもの」と教えてくれた。復活の道を歩んでいった増田さんは「いろいろな人のおかげですね」と、今も感謝の念を忘れない。(水口郁雄)
◇月経が来なくなった高校時代(女子マラソンの夜明けを駆け抜けて・上)
◇ラストランで分かった疲労骨折(女子マラソンの夜明けを駆け抜けて・下)
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(2018/11/03 06:00)