女性アスリート健康支援委員会 女子マラソンの夜明けを駆け抜けて

晴れの五輪「人生最大のショック」に
引きこもり、摂食障害も―増田明美さん


 ◇20歳の五輪「まだ幼かった」

 ロサンゼルス五輪の女子マラソンでスタートした選手たち。右から6人目が増田明美さん(時事)
 84年のロス五輪は、女子マラソンが初めてオリンピックの正式種目となり、女性アスリートの新時代を開いた大会として記憶に残る。8月5日、歴史的なレースを制したのは、地元米国のジョーン・べノイト選手。真夏のレースにもかかわらず、2時24分52秒の好タイムだった。

 20歳だった増田さんは、参加選手で最年少だった。暑さ対策として行った事前の調整合宿が裏目に出て、調子は上がらず、会社の壮行会欠席という騒動も起こした末に迎えた本番。スタートしてまもなく先頭に飛び出したものの、4キロ地点で早くも先頭集団に追い越され、次第に離された。16キロ付近で立ち止まり、途中棄権した。

 「幼かったんですね。先頭を走っていれば、そのまま気持ちよくゴールできる人間だった。でも弱い自分が途中で出てきて、レースを投げてしまったんです。日本代表として出たオリンピックの舞台なのに」。一緒に五輪に出た28歳の佐々木七恵選手が粘り強い走りを見せ、19位で完走しただけに、その「失敗」が際立った。

 日本に帰国すると、通りすがりの人から浴びた「非国民」という罵声が、胸に突き刺さった。「人生最大のショックで、人の目が怖くなりました。会社の寮に3カ月間、閉じこもっていました」

 ◇心満たされず、ゆで小豆に執着

 レース後、五輪の選手村に残り、傷心の日々を過ごしていたころから、増田さんには摂食障害と思われる兆候が表れていた。「選手村の食堂に、五輪のスポンサー会社のチョコレートが山ほどあったのを、やけ食いしました。食べ過ぎて、気持ち悪くなって吐くの。摂食障害になる人の気持ちは、私はよく分かります。自分の心が満たされないと、食べ物で満たそうとするんです」

 寮の部屋の電話線を抜いて閉じこもっていた間、支えになっていたのは「太ってはいけない」という気持ちと腹筋運動だったという。布団を敷いてあおむけに寝て、膝を立てて、2時間30分30秒という自分の日本記録と同じ時間、腹筋を繰り返した。「ノンストップで5660回くらいかな。やり終わって、ものすごくおなかがすくと、ゆで小豆を食べるんですが、罪悪感もあって吐き出したりしましたね」

ロサンゼルス五輪開会式のアトラクション。女性アスリートの新時代を開いた大会だった(時事)
 摂食障害という言葉は知らなかった。心配した母がよく寮を訪れ、ご飯をつくってくれた。その時、受け取ったファンの手紙にあった「明るさ求めて暗さ見ず」という言葉も心に染みた。結局、会社をやめて、いったん競技から離れた。

 摂食障害がすっかり治ったと実感するのは、2年後、長距離ランナーとしての再起を懸けて米オレゴン大学に留学し、人間性豊かな心を持つトップアスリートの仲間と出会ってからだ。ブラジル人のルイーズ・オリベイラコーチは「良い結果は、生きていてハッピーだと思える時に、自然に生まれるもの」と教えてくれた。復活の道を歩んでいった増田さんは「いろいろな人のおかげですね」と、今も感謝の念を忘れない。(水口郁雄)



◇増田明美さんプロフィルなど

◇月経が来なくなった高校時代(女子マラソンの夜明けを駆け抜けて・上)

◇ラストランで分かった疲労骨折(女子マラソンの夜明けを駆け抜けて・下)

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