「医」の最前線 行動する法医学者の記録簿
法医学会が初の学生向けセミナー開催
~社会的ニーズ紹介、将来の人材確保へ~ 【第8回(上)】
水上創・金沢医科大学教授が示した「大災害における死体検案」についてのスライド。自然災害以外の大事故、大事件についても拾い上げた=2024年8月24日、横浜市【時事通信社】
◇同じ大震災でも死のパターンは違う
水上創・金沢医科大学教授
大規模災害と法医学がどう関わっているかをお話ししたい。
検視と検屍(死)/検案という言葉がある。検視は、警察が異状死体を「視(み)て」、死亡状況を捜査するというもの。それに対して検屍、屍(しかばね)を「診る」、もしくは死を「診る」は、医師法では検案という言葉になるが、この行為をわれわれは行うことになる。
最終的には死体検案書を作ることになるが、検案で何をやるかというと、医師が異状死体の外表を観察し、簡単な検査を行ってその所見に基づいて医学的判断をする。診断のためには針を刺して、血液や尿を採ったりすることがある。家族の承諾は、基本的に必要ない。
判断内容は死因、つまりなぜ死亡したのか、いつ死亡したのか、場合によっては個人識別、人定と言うが、それも行う。警察は事件性があれば司法解剖に回すことになるが、傷があれば損傷の部位や程度、どんなもので付いた傷かを考える。
次に事件、事故を含めてこれまでの大災害における死体検案について、思いついたものを並べた。最初は1981年の北炭夕張新炭鉱のガス突出事故。私が小学校の時だったが、非常に記憶に残っている。火を消すために安否不明者が残る坑道内に注水が行われ、大騒ぎになった。最終的な死者数は93人。
それから85年8月12日に起きた日航ジャンボ機の御巣鷹墜落事故。500人以上が亡くなった。これも法医学会の人が駆り出されて死体検案や身元確認などを行った。
能登半島地震での死体検案活動や後方支援活動などについて述べる水上創・金沢医科大学教授=2024年8月24日、横浜市【時事通信社】
94年4月には名古屋空港で中華航空機が墜落。95年1月には6000人以上が亡くなる阪神淡路大震災が発生し、2001年には新宿・歌舞伎町の雑居ビル火災で44人が亡くなり、9月11日には米同時多発テロが起きている。
日航ジャンボ機墜落事故だが、この頃は(身元確認のために)血液型くらいしか調べるものがなく、それも暑さのために1~2日で、心臓血が採取できても溶血により赤血球が壊れ、検査できない状態だったと言われている。航空機事故なので、遺体は損壊が激しかったようだ。
米同時多発テロでは、ビルが崩れて、がれきの中から出てきた(犠牲者の)肉片や指一本からもDNA鑑定が可能になった。かなり精度が上がり、個人識別ができるようになってきた。
11年の東日本大震災では津波が街を襲い、2万人を超す死者・行方不明者を出した。その後、広島市の豪雨災害、御岳山噴火、熊本地震などが続き、19年には京都アニメーションの放火殺人事件が発生。24年1月には能登半島地震が起きた。
これは東京都監察医務院の院長からお借りした大震災の死因比較のスライドだが、東日本は90.5%が津波関連。外傷や火に巻かれたのはわずかだ。一方、阪神淡路では83.3%が外傷で、12.8%が火に関連して亡くなっている。大きな震災でもだいぶパターンが違う。
能登半島地震における私の活動の話をすると、石川県輪島市に正月3日から入って死体検案活動を行ったこと、その後、金沢市に戻って法医学会派遣医師の後方支援活動をしたこと、それから身元不明の焼損遺体の個人識別を行ったことなどだ。
では、能登半島地震での死因別内訳はどうだったか。法医学会が検案した分を説明すると、圧迫されたり、下敷きになったり、外傷を負ったりして亡くなった人が63%。低体温症が16%で、これが今回の地震の特徴だと思う。それから焼死やその可能性のある人が1割くらいとなっている。
まとめると、交通事情が悪かったこと、家屋の倒壊による圧迫死が多く、次いで低体温が死因だったことなどが挙げられる。今、例えば南海トラフの関係で津波タワーなどを造ってはいるが、古い町並みが一発目(の揺れ)でつぶれてしまうと、そこから脱出できなければ津波タワーに逃げることすらできない。
池松医学部長
災害現場に行って検案活動をするだけでなく、その後に、どこがおかしかったのか、どうやったら防げたのかを考える。首都直下地震や南海トラフ地震が起きた時に、どうすればいいかということまで水上先生は考えている。
こういうことができること、そして行政に反映させていくことも法医学の役割だと私自身は思っている。(時事通信解説委員・宮坂一平)
(2024/09/27 05:00)
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