「医」の最前線 AIに活路、横須賀共済病院の「今」

〔第2回〕「小児科がなくなる」
崖っぷちの病院経営

 人工知能(AI)を導入して書類業務を軽減して患者に直接接する時間を増やし、職員の働き方改革にもつなげる―。横須賀共済病院は、最先端技術の開発で一躍脚光を浴びることになったが、ほんの数年前までは明るい未来を描けるような状況ではなかった。最初の困難は、小児科消滅の危機。AI活用に乗り出す前に解決するべき課題は山積していた。

長堀薫院長

 ◇辞めた病院からSOS

 「このままでは病院から小児科がなくなってしまう。次期院長として戻ってきてくれないか」

 山梨県立病院の外科医として日々、手術に明け暮れていた2013年。長堀氏のもとに、横須賀共済病院の経営母体である国家公務員共済組合連合会(KKR)本部から連絡が入った。その1年ほど前まで、長堀氏は同病院の分院長と副院長を兼任していたのだが、「外科医として患者に尽くしたい」との思いから病院を離れていた。

 「(分院長、副院長だった)当時は救急車を断らない方針を決めたり、研修医の募集を開始したり、教育カリキュラムを作ったりと、病院経営に費やす時間が多くて、外科医の仕事は半分くらいしかできませんでした」と長堀氏。

 かつて働いていた山梨県の病院の理事長に直接手紙を書いて、県立病院の外科医としての職を得た。長堀氏が得意とする腹腔(ふくくう)鏡下手術や進行した胆のう、膵(すい)臓、肝臓の手術は、その地域で手掛ける医師が少なかったこともあって、山梨県全域から患者が集まり、手術が3カ月待ちになるほどだった。

 「とてもやりがいがありました。一介の外科医としての採用で役職は6段階落ちましたが、自分の腕で患者さんに尽くしたいという思いが強かったですから」

横須賀共済病院

 ◇自分がやるしかない

 しかし、院長代理として戻った横須賀共済病院の状況は崖っぷちだった。小児科がなくなるということは、周産期母子医療センターが維持できなくなることを意味した。晩婚、晩産化が進む中、高度なケアを必要とする患者は増える一方なのに、ハイリスクな出産や新生児を守るための機能が、三浦半島からなくなってしまう。自分が働いていた病院だけに、それがどれだけ深刻な事態かも理解できた。

 「来年度から小児科医がいなくなる一刻を争う事態なのに、ただ傍観しているような状況でした。本部に呼ばれたのが7月、さんざん悩んだあげく、自分がやるしかないと腹をくくって、2カ月後に戻ることにしました」

 ◇地域を守るための一歩

 長堀氏はすぐに小児科医の確保に動いた。2004年に新臨床研修制度が発足し、研修医は自分で研修先の病院を選べるようになったが、一人前になるまでには時間がかかる。即戦力の有能な医師を確保するためには、大学の医局の協力が欠かせなかった。しかし、医師を派遣してくれるはずの大学とは関係がこじれていて、修復には時間がかかりそうだった。

 「小児科医の不在は、うちの病院だけでなく地域全体の問題です。横浜市立大学の理事長、学長、横須賀市、市議会、医師会など関係するすべての人たちを巻き込んで、協力してもらうしかないと考えました」

かろうじて小児科消滅の危機を脱出

 小児科がなくなれば、安心して子どもを産み育てることのできない地域になってしまう。すると、働き盛りの若い世代が地域から離れてしまい、地域の活性化にも影響することは明らかだ。

 横須賀共済病院に小児科医がいなくなると、地域にどんな問題が発生するのか、具体的なデータを示して文書を作成。これを、横須賀市医師会会長、同小児科医会会長の連名で、市長あてに提出し、横須賀市の総意として横浜市立大学に小児科医の派遣を依頼した。

 その結果、2014年4月、長堀氏の院長就任と同時に、4人の小児科医が派遣されることが決まった。「困っているから助けてほしい」というスタンスではなく、客観的な事実を積み重ねた交渉が事態を動かした。

 「今は10人の小児科医が働いてくれています。病院に戻ってからの5年半で、一番難しい問題でした」と長堀氏。これが、安心して子どもを産み育てられる地域を守るための大きな一歩となった。(医療ジャーナリスト・中山あゆみ)

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