こちら診察室 アルコール依存症の真実

精神科病院で門前払い 第26回

 妻が2人の息子を連れて家から出て行ったことを知ったのは、何度目かの入院の時だった。「なぜなんだ!」と怒りながらも、どこかで「嘘だろう」という気持ちもあった。

酒浸りの末、立って歩くことができなくなった

酒浸りの末、立って歩くことができなくなった

 ◇もぬけの殻

 でも、嘘ではなかった。退院して家に戻った男性は、一人ぼっちになった現実を知った。妻や子どもが使っていた物が、きれいさっぱりなくなっていた。服、装飾品、家電、家具、寝具、食器、本、CD、DVD、文具、玩具、自転車…。妻と子どもの痕跡は一掃され、まさにもぬけの殻だった。残されたのは、くたびれた男性の身の回りの品、がらくた、そして家だけだった。

 男性は家と身の回りの品の一切合財を処分した。この時42歳。家のローンが残っていた。相殺すると、それほど金は残らなかった。とりあえず、安いホテルに泊まりながら住む家を探した。

 ◇アパート住まい

 「子どもが通う小学校の近くに一部屋のアパートを借りました。秋になっていました。子どもが近くに来ているはずなのに、会うことはできません。一人暮らしの寂しさが身に染みました」

 わずかばかりの生活用品を男性は揃えた。

 「布団、電気こたつ、テレビ。それと、缶酎ハイを3本だけ買いました。たくさん飲みさえしなければ体は壊れない。酒を節制しながら仕事をバリバリして、またお金を儲ければ、彼女と寄りを戻すことができるだろうと思いました」

 男性は今でも妻を「彼女」と呼ぶ。

 ◇寂しさがつまみ?

 「1週間もたたないうちに、一升瓶を抱えて飯も食わずに飲んでいました。酒のつまみは寂しさです」。こう格好をつけてはみたものの、アルコール依存症という病に取り付かれていた男性はつまみの有無とは無縁だった。

 「『アルコール依存症は飲酒をコントロールできない病気で、1杯飲んだら止まらなくなるよ』と医者の言葉を思い出した時には、酒をストップすることができなくなっていました」

 それから約2カ月、朝から晩まで食事らしい食事をしないで酒を飲み続けた。

 ◇体が悲鳴を上げる

 「あまりにもつらかったので、以前かかったことのある内科に行きました。医者は『酔っ払いは帰れ』と、けんもほろろに私を追い返しました」

 体が悲鳴を上げていた。悲鳴は日を追って激しくなる。

 「やっぱりつらくてどうしようもないので救急車を呼びました。救急車が来るまでの間に、部屋の片隅にウイスキーのボトルが転がっているのを見つけました。まだ半分ほど残っています。救急車のサイレンが聞こえてきました。煽られるように、ウイスキーをラッパ飲みで飲み干しました」

 ◇行き先を指定する

 「救急隊員が来た時、『俺はアル中だから○○病院(以前入院していた精神科病院)に連れて行ってくれ』と行き先を指定しました。救急隊員は何か言いたそうでしたが、酔っ払いに何を言っても無駄だと思ったのでしょう。サイレンを鳴らして指定した病院に向かってくれました」

 救急車が病院に着く頃には、先ほど飲んだウイスキーが効いてきたのか、なぜかつらさが消え、元気さえ出てきた。男性は救急車の運転手に頼んだ。

 「『この間退院したばかりの病院なので勝手はよく知っている。自分で入院できるから正面玄関で降ろしてくれれば、後は世話にならない』と告げました。そうしたら、厄介者を放り出すように降ろしてくれました」

 ◇警察に通報される

 自分の足で受付に行き、入院を頼む男性を救急隊員が横目でちらちらと見ながら、病院の関係者と何かを話していた。

 しばらくして出てきた看護師は「酔っ払っている人は入院できません」と、きっぱり言い放った。

「私は頭に血が上り、『酔っ払っているからアル中なんだ。あんたでは話にならないから医者を呼べ』と怒鳴りました」

 看護師が呼んだのは、医師ではなくて警察だった。駆け付けた警官とすったもんだの揚げ句、門前払いを食らった。

 ◇不幸中の幸い

 「どうやってアパートに戻ったのか覚えていません。気が付くと、部屋の中で再び一升瓶を抱えて飲んでいました。どれほど日にちがたったのでしょうか、つけっぱなしのテレビで正月の番組をやっていました。その頃には、酒を買いに行くことができなくなっていました」

 アパートの階段の上り下り、コンビニまでの往復。もう、それができる体力も筋力もなかった。それより何より、体のいたるところが痛い。

 「このままでは死ぬな」

 男性は何としても病院に入院させてもらおうと思った。しかし、救急車を呼ぼうにも携帯電話がない。どこかでなくしたようだった。不幸中の幸いというか、酒は一滴も残っていなかった。

 「酒が残っていたら、また飲んでいたと思います。酒を飲み残して家を出るようなまねは、絶対にしなかったはずですから」

 ◇崖っぷちで取った行動

 崖っぷちに立たされた男性は、近くの公衆電話まで何としてもたどり着こうと決意を固めた。日が暮れかかっていた。しかも、今日は日曜日で病院は休みのはずだ。酒が抜け、少しだけまともな判断ができるようになっていた。

 「しらふのままで一晩寝ると、少し体力が戻るかもしれないとも思いました。とにかく目を閉じて、夜が明けるのを待ちました」

 朝になった。男性はアパートの階段を這いながら下り、そのまま四つ這いで公衆電話に向かった。

 「歩くことができなくなっていたのです」

 後に、酒の飲み過ぎで骨がぼろぼろになり、体のあちこちを骨折していたことが分かったという。

 ◇男性が見た正月明けの風景

 「正月明けの月曜日。四つ這いで駅に向かう私の脇を、初出勤するらしい人の履くピカピカに磨いた靴が通りすぎていきました。私は靴しか見られなかった。恥ずかしいからではありません。もしも、顔を上げて通行人の顔を見たら仰向けにひっくり返り、亀のようにバタバタして、二度と四つ這いになることができないと思ったからです」

 何とか公衆電話にたどり着いた男性は、門前払いを食った精神科病院に電話した。

 「息も絶え絶えの私の声に、すぐに医者に取り次いでくれました」

 電話口で医師は「入院の支度をして、あさっての水曜日にいらっしゃい」と告げた。

 「『助かった』と思いました。しばらく受話器を戻さず、その場にへたり込んでいました」

 その後のてんまつは、次の機会に書く。(了)

 佐賀由彦(さが・よしひこ)
 ジャーナリスト
 1954年大分県別府市生まれ。早稲田大学社会科学部卒業。フリーライター・映像クリエーター。主に、医療・介護専門誌や単行本の編集・執筆、研修用映像の脚本・演出・プロデュースを行ってきた。全国の医療・介護の現場(施設・在宅)を回り、インタビューを重ねながら、当事者たちの喜びや苦悩を含めた医療や介護の生々しい現状とあるべき姿を文章や映像でつづり続けている。アルコール依存症当事者へのインタビューも数多い。

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