こちら診察室 アルコール依存症の真実

生還 第24回

 加藤太一(仮名)さんは、アイルランド系米国人の父親と日本人の母親を持つハーフだ。ハーフの生きづらさを酒で紛らわせ、アルコール依存症になった。

命の恩人との出会い

命の恩人との出会い

 ◇生ビール5杯を一気に

 2度の精神科の入院を経て、酒をやめようと本当に思っていた。ところが、決意だけでは酒をやめられないのが依存症だ。それまでの幾度とない失敗を忘れたかのように「意志と根性」で節酒に挑み、あっけなく返り討ちに遭った。

 「節酒が続けられたのは2カ月間だけでした。『いちいち注文するのは面倒だから、生ビールは3杯同時に頼む』という若い女性のYouTube(動画配信)を見たのがきっかけでした」

 加藤さんは思わず、「3杯なんか甘い甘い」とつぶやいた。その10分後には飲み屋のテーブルに5杯の生ビールを並べ、ジョッキを次々に傾けていた。

 「おいしくて涙が出て、『こんなうまいもん、絶対にやめるものか』と思いました。それが、3度目の入院につながる飲み方のスタートでした」

 ◇金が底を突く

 加藤さんは、12階建てマンションの10階に住んでいた。外観はきれいだったが、部屋はごみため。それはともかく、賃貸であり、入退院を繰り返していた。その頃には定職も蓄えもなく、賃料の支払いに窮していた。だから、飲み代はすぐに底を突いた。時計、オーディオ、洋服、かばん、CD、本…。金に代えられるものは、すべて現金化した。でも、飲み代はあっという間に消えていった。酒どころか食事もできない。

 「このままでは死ぬな」

 加藤さんは、別居している妻に泣きつこうと思った。でも、会わす顔がなかった。友人の何人かは金を貸してくれるだろう。だが、借りて飲んだら元のもくあみだと思った。そう、そんなまともな考えができたのは酒を飲んでいなかったからだ。

 ◇命の恩人

 1度目の精神科入院を終えた時だった。米国時代、教会に通う習慣があった加藤さんは、日本でも若い頃に通っていた教会に久しぶりに行ってみた。その教会の牧師は加藤さんを覚えていてくれた。

 「実は、自分はアルコール依存症なんです」と牧師に打ち明けると、とても親身に聞いてくれた。その後、すぐに飲んでしまったのでそれきりになっていたのだが、「お酒を本気でやめたければ紹介したいところがある」と言っていたのを思い出した。

 加藤さんは、なけなしの小銭を集めて電車に乗り、牧師に会いに行った。

 牧師は笑顔で加藤さんを迎えてくれた。加藤さんの目から涙があふれ出た。加藤さんは声を絞り出した。

 「助けてください」

 牧師は痩せ細った加藤さんに、取り合えず入院し、その後にアルコール依存症者の社会復帰を支援する施設に入ることを勧めた。同時に、生活保護を受給するために福祉事務所にも連絡を取ってくれた。

 「あの牧師さんこそが命の恩人です。1回目と2回目の退院の時も酒をやめようとか、減らそうとか思っていたけれど、心底本気でやめるんだと決意したのは、牧師さんの笑顔を見た時でした。そこからが、酒をやめる作業の本当のスタートでした。それまでは予行練習だったんです」

 ◇救護施設への入所

 社会復帰のための支援施設は、生活保護法第38条の救護施設だ。同法では、「身体上または精神上著しい障害があるために日常生活を営むことが困難な要保護者を入所させて、生活扶助を行うことを目的とする施設」と位置付けられている。

 2人部屋に入った加藤さんは「合宿所みたいだな」と思った。スケジュールもまさに合宿所だった。

 朝6時に起床、毎日、アルコール依存症者向けのプログラムがぎっしりと組まれている。プログラムは、AA(アルコホーリクス・アノニマス:アルコール依存症者の匿名の自助グループ)のミーティング参加を中心に、健康に安心して毎日を過ごし、酒のない楽しい時間を持つためのレクリエーションやスポーツ、趣味活動、季節行事、ボランティア活動、各種相談などが用意されている。

 ◇自分の心を開く

 「とにかくプログラムへの参加が忙しく、最初はとてもきつかったですね。規則正しい生活なんか、とっくに忘れていましたからね」

 酒を飲んだら退所だ。しらふのときは、引っ込み思案の加藤さんは人見知りが激しく、なかなかなじめなかった。定期的に組まれている個別面談でも、最初のうちは職員に胸の内を打ち明けることはなかった。

 「でも、そんな私に意見するわけでもなく、職員さんは気長に付き合ってくれました。職員さんに恵まれたんでしょうね」

 1カ月がたった頃、加藤さんは「私の話を聞いてくれますか」と職員に言った。職員は優しくうなずき、加藤さんは誰にも言えない心の葛藤を吐き出した。

 ◇酒に対する無力さを知る

 AAのミーティングは毎日あった。

 「入所していたのは4カ月です。120日間、1日も休まずに参加しました。施設の外で開かれているミーティングもあり、週に何回かは施設内と施設外の両方に参加しました。AAでも、職員さんの個別面談と同じように自分の胸の内をさらけ出せるようになりました」

 自分を語ることは自分を知ることだ。やがて、加藤さんは酒に対する無力さをつくづくと思い知り、退所後は酒を飲まない毎日を送っている。

 ◇二つの人生を味わう

 入所の期間中、酒飲み仲間2人の訃報を知った。1人は肝硬変、1人は自殺でこの世を去った。そして、加藤さんは生還した。

 「このまま飲まなければ、二つの人生を味わうことができます。酒を飲んでいた人生はつらい事も多かったけれど、あれはあれでパラダイスでした。今味わっている酒を飲まない人生も、案外いいものです。この先、飲まずに生きられるのなら、私は普通の人の2倍幸せなんだと思うようにしています」

 加藤さんは近いうちに、先に逝った2人の墓参りに行こうと思っている。

 佐賀由彦(さが・よしひこ
 ジャーナリスト
 1954年大分県別府市生まれ。早稲田大学社会科学部卒業。フリーライター・映像クリエーター。主に、医療・介護専門誌や単行本の編集・執筆、研修用映像の脚本・演出・プロデュースを行ってきた。全国の医療・介護の現場(施設・在宅)を回り、インタビューを重ねながら、当事者たちの喜びや苦悩を含めた医療や介護の生々しい現状とあるべき姿を文章や映像でつづり続けている。アルコール依存症当事者へのインタビューも数多い。(了)

 

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