こちら診察室 アルコール依存症の真実
そして、妻は去った 第25回
筆者が話を聞いたアルコール依存症の本人や家族は13人だ。その中で、既婚者のすべてが離婚していた。アルコール依存症は本人だけではなく、家庭を壊し、家族を痛める。これは、「ある日突然、彼女は2人の息子を連れて家から姿を消しました」と語るアルコール依存症の男性の物語。
酒飲みたさに子どものお金に手を付ける
◇怒り狂った男性
男性が「彼女」と呼ぶ妻が家から姿を消したことを知ったのは、何度目かの入院中だった。
「私は怒り狂いました」
アルコール依存症は無自覚の病気だ。
「確かに酒をたらふく飲んで、家族に不自由をかけたことがあるかもしれないけれど、酔っ払って彼女や子どもを殴ったことはなかったし、家具を壊したこともない。なぜ、彼女が逃げるように姿を消したのか、その時はまったく分からず、怒りしか湧いてきませんでした」
妻と子どもに逃げられ、怒りで我を忘れたのは男性が42歳の時だった。男性によると、30代半ばくらいまでは、妻は酒を飲むことにあまり文句を言わなかったという。それからおよそ7年間。家族が逃げ出すほどに、飲み方が泥沼化していくプロセスを男性の証言をつづりながら追ってみよう。
◇酒浸りになった頃
高校に入った頃から飲み始め、しだいに酒量が増え続けた。妻が「お酒をやめてください」と真顔で言ったのは、飲み始めてちょうど20年後の30代半ばだった。
「結婚してから10年くらいは、『飲み過ぎないで』と言われることはあっても、『飲まないで』と止められることはありませでした」
その理由を男性は「彼女の実家では父親が飲む習慣がなく、『酒を飲む男の人は私のように飲むのが普通なのだろう』と思っていたようです」と推測する。
ところが、30歳で始めた事業がつまずくようになった頃から、飲み方が激しくなった。
「仕事がうまくいかない時には、特に酒の量が増えました。もちろん、うまくいった時も、しっかり飲んではいましたけれど」
男性には、「酒を飲んでいるから仕事ができるんだ、ここまでやれたんだ」という強い思いがあった。飲み方はこうだ。
「朝は迎え酒、昼食には必ずビールを飲んで、夜は飲み歩く。家に帰れば寝るまでグラスを離さない、そんな毎日でした」
◇男性の返し言葉
「お酒をやめて」という妻の願いを男性は一笑に付し、「俺から酒をとったら、何もできなくなるぞ」と言い放った。
「その時は、それで彼女が引き下がったのですが、すぐに飲酒をめぐってけんかが絶えなくなりました」
妻は、行動に出た。
「彼女は家に酒を置かなくなりました。加えて、私の飲酒を監視するようになったのです。当然、面白くありません。飲む、飲まないで、すぐにけんかが始まります」
◇ひそかな喜び
けんかは消耗戦だ。だから、男性は隠れて飲むようになる。
「本棚の裏、ベッドの下、いろいろな所に酒を隠して彼女の目を盗むように飲みました」
しかし、隠し場所が見つかると、さっさと捨てられた。
「隠そうと思えば隠す所はいくらでもありました。トイレタンクに隠したこともありました。絶好の隠し場所を探し出すと、『ここはしばらく利用できる』と、ひそかな喜びを噛みしめました」
◇「イタチごっこ」
ここまで、「イタチごっこ」のようなバトルを繰り広げたのには理由がある。外で飲む金がなかったのだ。
「その頃、家計は経済的に破綻を来していました。のべつ幕なしに飲んでいたので、事業がおぼつかなくなり、収入が激減したのです。彼女はそれなりに蓄えていたようですから、生活は何とかなっていました。でも、私に渡す余裕はありません。何より、金を渡せば確実に飲んでしまいます」
今度は、金をめぐる「イタチごっこ」が始まる。攻守所を変え、妻が金を隠すようになった。
「自分の家の金を盗まないことには酒が飲めません。彼女は盗人である私から金を守るために、見つかりにくい隠し場所に移しました」
やすやすとは見つけられなくなった男性は、ついに子どもの貯金箱に手を伸ばす。これは、親としての禁じ手だ。妻はこの時、逃げ出すことを決意したのだろう。
◇「鬼畜」になった男性
「経済的な破綻だけではありません。体のあちこちが悪くなります。酒を飲むことを除き、何かをする気力も体力もなくなってきます。悪くなった部分に痛みが走ります」
破綻は広がる。
「家庭内には、『私』対『妻と子どもの連合軍』という構図ができ、孤立感が強まります。友人が1人去り、また1人去り、ついに誰もいなくなってしまいます。寒気のするような寂しさに襲われ、飲まずにはいられなくなります」
飲むことにかけての執念だけが突出して凄まじいのがアルコール依存症だ。金がなければ子どもの金まで盗むのだから…。
飲まなくなった今、男性は「あの頃の私は、まるで鬼畜でした」と振り返る。
◇精神科に入院しても飲む
そのうちに男性は倒れて、精神科の病院に入れられる。
「精神科に入っても酒を飲む方法を算段しました。ひどい時は閉鎖病棟に入れられるわけですが、相棒がいれば閉鎖病棟にさえ酒を持ち込むことができました。もちろん、身体検査はされます。それをかいくぐって持ち込む手段をひねり出しました」
男性は、続ける。
「同室の仲間と組んで、毎日のように酒を飲んでいました。さすがに深酒はできないこともあり、院内飲酒はバレなかったですね」
いわゆる「良い子」になって、病院の治療プログラムを真面目にこなし、一日でも早い退院をつかみ取る。
「退院が近づくと、試験外泊ができます。土日が多かったのですが、家に着くまでには泥酔状態になるのが常でした」
そんな男性に妻は絶望し、逃げ出すことを決意したのだった。かくして1人になった男性のてんまつは、次回に紹介したい。(了)
佐賀由彦(さが・よしひこ)
ジャーナリスト
1954年大分県別府市生まれ。早稲田大学社会科学部卒業。フリーライター・映像クリエーター。主に、医療・介護専門誌や単行本の編集・執筆、研修用映像の脚本・演出・プロデュースを行ってきた。全国の医療・介護の現場(施設・在宅)を回り、インタビューを重ねながら、当事者たちの喜びや苦悩を含めた医療や介護の生々しい現状とあるべき姿を文章や映像でつづり続けている。アルコール依存症当事者へのインタビューも数多い。
(2022/11/15 05:00)
【関連記事】