こちら診察室 よくわかる乳がん最新事情

最終回 着実に進歩する乳がん治療
ゲノム時代、個人に最適の薬探しも目標に 東京慈恵会医科大の現場から

 ◇新しい薬が次々登場、診断技術の進化も寄与

 ER遺伝子とPgR遺伝子は、女性ホルモン(エストロゲン、プロゲステロン)を乳房の乳腺細胞が捕まえる仕組みである受容体(レセプター)を作り出す遺伝子です。これらの遺伝子が働いているタイプ(ルミナルA、B型=ホルモン受容体陽性)の乳がんでは、エストロゲンなどを捕まえた乳腺細胞が活性化し、増殖することが分かっています。

 このタイプの乳がんに対するホルモン療法では、この受容体にエストロゲンなどが捕まるのを阻害(邪魔)する薬があり、抗ホルモン剤(抗エストロゲン薬)と呼ばれています。その最初の薬「タモキシフェン」を使う治療法は1980~90年代に開発されました。

 1990~2000年代にはさらに進んで、エストロゲンやプロゲステロン自体を体内で産生できなくする「アロマターゼ阻害剤」、2000年から10年にかけてはエストロゲン受容体自体を分解する「フルベストラント」が開発され、さらに腫瘍の増殖を抑える効果が増大しています。

 現在は診断技術の進化により、特殊な染色方法で、ER遺伝子とPgR遺伝子が患者のがん細胞全体の何%で働いているか(発現しているか)が分かるようになっているので、こうした薬が効く症例を選択して投与することが可能となり、治療成績の向上に結び付いています。

 ◇「少数転移」なら完治にも望み

 同様に、HER2遺伝子が働いているタイプ(HER2型=HER2陽性)の乳がんに対しては、抗HER2薬といわれる分子標的治療薬が有効です。最初に開発されたのはトラスツズマブという薬で、2000年代に使えるようになりました。

 トラスツズマブはHER2遺伝子が作り出す受容体(HER2タンパク)と結合して、細胞増殖を活性化させる表皮成長因子(タンパク質の一種)がこの受容体と結合するのを阻害し、この受容体がある乳がん細胞の増殖を阻止します。10年代に入るとペルツズマブという抗HER2薬も登場し、トラスツズマブとの併用によって、さらにがん増殖を抑制する治療効果を上げています。

 こうしたホルモン療法薬や分子標的治療薬(抗HER2薬)を用いる治療法を、従来のさまざまな治療法と組み合わせることにより、初期治療後の再発や遠隔転移が見つかった乳がん患者に対しても有効な治療手段が生まれ、5年生存率の向上につながっています。

 最近まで、乳がん患者が再発や遠隔転移を起こした後、完全に治る(治癒する)確率は2~3%と言われてきました。しかし現在は、「転移臓器数が少ない」「転移個数が少ない」「生命の維持にあまり影響のない骨やリンパ節だけへ転移している」といった「オリゴメタスタシス(少数転移)」と呼ばれる状態であれば、約20~30%の患者で治癒が期待できるのではないかと考えられてきています。

 また2017年からは、ER、PgR、HER2の各遺伝子が働いているかどうかにかかわらず、がんに関係する他の特定の遺伝子の働きを阻害する分子標的治療薬が再発・転移を生じた患者に対して使用可能となってきました。今回の連載は、こうした抗HER2薬以外の分子標的治療薬の最新事情についても取り上げました。

 ◇個別化医療や免疫療法の進展に期待

  

 きらめく若葉の中を仕事へ
 このように、乳がんに限らず全てのがんで、どのような遺伝子が働いているのかを知ることが重要となってきています。このため国は「がんゲノムプロジェクト」として、一人ひとりの患者について100種類の以上の遺伝子の働きを1回の検査(遺伝子パネル検査)で調べ、最適な治療薬を探す「個別化医療」の普及に動いています。

 国立がん研究センターなどの中核拠点病院で、いくつかの検査システムが構築されており、19年から保険適用による検査が始まりました。適用には治療歴などの条件があり、検査人数はまだ限られていますが、例えば「肺がんの治療薬を乳がんに」というように、これまで特定の臓器のがんにしか使えなかった薬を、同じ遺伝子が働いている別の臓器のがんにも使用できるようになり、治療効果が向上する可能性があります。

 また、免疫チェックポイント阻害剤(分子標的治療薬の一種)のように、体内の免疫機能を働かせるよう作用する治療薬を使う「免疫療法」の最近の進歩が、今後の乳がんの治療成績をさらに向上させることも期待されています。(東京慈恵会医科大附属病院乳腺・甲状腺・内分泌外科診療部長 武山浩)



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