こちら診察室 介護の「今」

泣くこと 第48回

 ◇介護者の異変

 退院後、母親は歩行ができなくなっていた。尿閉(尿がまったく出ない症状)となり、カテーテルを入れた。排便も自力でできず、かん腸が必要になった。さすがに素人の介護では限界を感じた。

 「介護保険の訪問看護と訪問入浴をお願いすることにしました。歩けないから徘徊の心配もなくなり、介護そのものは楽にはなったんですけど、今度は自分の体調に異変が起こりました」

 公子さんに不整脈が現れたのだ。母親の退院から2カ月後のことだった。

 「訪問看護も訪問入浴も1時間程度のサービスです。寝たきり状態とはいえ、母親を家に置いて定期的に病院には通えません。母親の介護で自分の人生が終わってしまうのだろうかと、気分がどんどん落ち込みました」

 ◇ストレスの蓄積

 カテーテルを抜管してしまう母親にも頭を痛めた。抜管のたびに病院への救急搬送。寝不足も重なり、ストレスが蓄積していった。

 そんなある日、洗濯物を干していた公子さんの体が動かなくなった。

 母親の主治医は脳神経外科医だった。母親の発症以来、20年近くの付き合いだ。夫に来てもらい、その医師のもとに急行した。

 「どうしましたか?」

 医師が、温和な顔で話し掛けた途端、公子さんは泣き崩れた。

 「1時間以上泣き続けました。母親だけではなく、家族のことを理解してくださるのは、その先生しかいませんでした。何を言っても許してくれると思い、それまでにたまっていたいろいろなことを話しました」

 思いきり泣いたのは、長い介護生活の中で初めてだった。そして医師は、泣きやんだ公子さんの前で電話をかけ、母親の療養先を探してくれた。

 ◇解放の効果

 それから半年、母親は意識レベルが上がり、公子さんも今後の介護生活に備えて体調を整えることができた。

 実はそれまでの数年、母親に手を上げたこともあったという。母親を大声でののしり、あのままでは虐待行為がエスカレートしていただろうと公子さんは振り返る。

 ところが、思い切り泣いた後、心の重荷がすっと軽くなった。

 夫も公子さんの介護疲れに理解を示すようになり、母親が自宅に戻って来て以来、週に数回は、義母の部屋で一夜を過ごすようになった。公子さんの表情も柔らかくなり、そのためか母親はカテーテルを抜管しなくなった。公子さんは、やっと泣けたのだ。

 ◇思い切り泣いたことがありますか?

 話は変わるが、東日本大震災の後、介護職の小さなセミナーで「皆さんは、思い切り泣いたことがありますか?」とある講師が問いかけたことがあった。空前絶後体験の中で泣くこともできずに、頑張り続けている介護職が多かったのだ。

 セミナーの後の打ち上げでは、酒の手伝いも借り、皆で泣き合ったという。

 涙があるからこそ、前に進めるのかもしれない。(了)

 佐賀由彦(さが・よしひこ)
 1954年大分県別府市生まれ。早稲田大学社会科学部卒業。フリーライター・映像クリエーター。主に、医療・介護専門誌や単行本の編集・執筆、研修用映像の脚本・演出・プロデュースを行ってきた。全国の医療・介護の現場を回り、インタビューを重ねながら、当事者たちの喜びや苦悩を含めた医療や介護の生々しい現状とあるべき姿を文章や映像でつづり続けている。中でも自宅で暮らす要介護高齢者と、それを支える人たちのインタビューは1000人を超える。

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