認知症 認知症の人への視線を考える

さりげなく手を貸す (ジャーナリスト・佐賀由彦)【第6回】

 前回、認知症の人に孫の名前を言わせようという家族の何げない行為がどれほど冷酷であるかという話を書いた。認知症にもの忘れは付き物であり、簡単には思い出せない場合が多い。それを無理強いすることは、極端に言えば、高齢者虐待にも通じるのだ。

 名前を言ってもらうだけなのに、大げさではないかと思うかもしれない。しかし、かわいい孫の名前を忘れてしまったことを、本人は相当ショックに感じている。それに追い打ちを掛けるように問い詰めれば、本人は自信を失い、生きる意欲さえ失っていくのである。

 ここまでは、前回の復習。では、認知症の人にどういう気持ちで接し、具体的にはどのように対応すればよいのだろうか。

ある認知症の女性宅にあった家族手作りの 「お薬カレンダー」。飲み忘れを防ぐ道具の一つだろう。(本文とは関係ありません)=大隅孝之撮影

ある認知症の女性宅にあった家族手作りの 「お薬カレンダー」。飲み忘れを防ぐ道具の一つだろう。(本文とは関係ありません)=大隅孝之撮影

 ◇すべてを忘れるわけではない

 まずは、孫の名前を忘れたからといって、大した問題ではないと思うことが大切だ。認知症になってもすべてを忘れるわけではない。いや、おおむね覚えていることの方が多いだろう。

 名前を忘れたとしても、成長した孫の顔を見たときに、幼い頃の顔が思い浮かぶこともあるだろうし、孫と裏山に散歩に行ったことや孫が好きな食べ物を思い出すこともあるだろう。ただ、名前が出てこないだけなのだ。そんなときには、名前を思い出させるよりも、例えば、こんな言葉を掛けてみたい。

 ◇先回りして教える

 「今度、中学生になる〇〇ちゃんですよ」

 名前を忘れているのなら、先回りして教えればいい。そうすると「おお、小さい頃は裏の山でキノコを探したね」などと思い出したりする。名前を無理に思い出してもらうよりも、ストレスもなく、脳にとっては良い刺激になるという。

 加えて言えば、認知症予防として簡単な計算をしたり、パズルを解いたりする「脳トレ」について、認知症を予防する医学的なエビデンスはないという研究結果は多い。

 ◇間違った対応

 以下は、筆者がある認知症グループホームで目撃した風景だ。その日、認知症の入居者が家族に連れられて帰ってきた。「温泉にお泊まりして、楽しんできました」と家族が言う。本人も楽しそうな表情を浮かべている。職員の一人が「お帰りなさい」と笑顔で迎える。

 そこまでは良かったのだが、職員は「どちらの温泉に行かれたのですか?」と、本人に聞いてしまった。答えられない。職員に一瞬「しまった」という表情が浮かんだ。だが、後の祭りである。家族は、答えられない様子を見て「どこに行ったの? 職員さんに教えてあげなさいよ」と問い詰め始めた。本人の楽しそうな表情は消えて、困り、おどおどした様子になってしまった。

 何がいけなかったのかお分かりだろう。どの温泉に行ったのかを特定することに、どれほどの意味があるのだろうか。ほかにも、誰と行ったか、何を食べたのかといったことも、認知症の人にとっては、答えにくい問い掛けだ。では、グループホームの職員はどのような対応をすれば良かったのだろうか?

認知症になっても、ある女性は毎日畑仕事に精を出す。周囲の人の適切なサポートがあれば、その人らしく暮らすことができる(本文とは関係ありません)=大隅孝之撮影

認知症になっても、ある女性は毎日畑仕事に精を出す。周囲の人の適切なサポートがあれば、その人らしく暮らすことができる(本文とは関係ありません)=大隅孝之撮影

 ◇感情に焦点を当てて

 この事例で言えば、家族の「温泉にお泊まりして、楽しんできました」という言葉と、本人の楽しそうな表情を受けて「温泉に行かれたんですね。楽しかったそうですね」と言葉にするのが良さそうだ。楽しかったことを話題にする、つまり感情に焦点を当てるわけだ。

 本人には、すぐに温泉旅行のエピソードはよみがえらないかもしれない。それなら「私も、温泉旅行は楽しくて大好きなんですよ」とか、「寒い日は温まりますね」「お食事がおいしいですものね」と相手の反応を見ながら、ゆっくりと言葉を続けていく。

 そうすれば、楽しい気持ちとともに「露天風呂が気持ち良かった」「お刺し身がおいしかった」などと、楽しい記憶を思い出すかもしれない。つまり、どこかにしまっていた印象深い記憶が感情と一緒によみがえるわけだ。

 もちろん、ここで大切なのは露天風呂に入ったとか、お刺し身を食べたとかいうエピソードではなく、楽しさの記憶であり、思い出が今の気持ちに心地好く花咲くことにある。

 ◇見当識をサポートする

 前回、認知症の中核症状を改善する目的で行われるリハビリテーションの一つとして「リアリティー・オリエンテーション(RO)という療法」に少し触れた。

 ただし、日付や時間、場所などの見当識を改善しようとして質問攻めにすると、認知症の人にダメージを与えることがあり「取扱注意」の療法であることも説明した。

 そこでROでは「きょうは何日ですか?」などと答えを求める尋ね方をするのではなく、カレンダーを見ながら「きょうは5月5日の『こどもの日』ですね」と話し掛けたり、時計を見ながら「そろそろ12時ですね。お昼ご飯にしましょうか」と誘ったりするなど、見当識をさり気なく補っていく方法が推奨されている。狙いは、見当識の低下による不安を取り除くことにあり、正しく日付や時間を言えるようにすることではない。

 ◇中核症状を周囲が補う

 認知症の中核症状と呼ばれるものには、記憶障害や見当識障害のほか、理解・判断力の障害、実行機能障害(遂行機能障害)、失語・失行・失認などがある。詳しい説明は別の機会に譲るが、中核症状は認知症になった人ほとんどに起こる症状である。これはとても苦しいことだ。今までできていたことができなくなる不安と恐怖は、誰よりも本人自身が感じている。

 だから、認知症の人との対応には、中核症状を補う対応が望ましいのだ。記憶に不安を感じているなら、記憶を補えばいいし、言葉や行動の一部を失っていれば、手助けすればいいのだ。

 ある精神科医は、そうしたサポートを「できないことに、そっと手を貸すさりげなさ」と言う。(了)

 ▼佐賀由彦(さが・よしひこ)さん略歴

 ジャーナリスト

 1954年、大分県別府市生まれ。早稲田大学社会科学部卒業。映像クリエーター。主に、医療・介護専門誌や単行本の編集・執筆、研修用映像の脚本執筆・演出・プロデュースを行ってきた。全国の医療・介護の現場(施設・在宅)を回り、インタビューを重ねながら、当事者たちの喜びや苦悩を含めた医療や介護の生々しい現状とあるべき姿を文章や映像でつづり続けている。

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