認知症 認知症の人への視線を考える

キーワードは「自信」 (ジャーナリスト・佐賀由彦)【第7回】

 物事を覚えにくくなる、考える速度が遅くなる、動作の段取りが分からなくなる、時間・場所や人との関係が分からなくなる。考えるだけでもつらいことだ。ところが、周囲の人は認知症の人にこんな声を浴びせる。

認知症の男性の居室に置いてあった色鉛筆。この色鉛筆を使って、四季の光と風が優しい風景画を描き続けている(本文とは関係ありません)=坂井公秋撮影

認知症の男性の居室に置いてあった色鉛筆。この色鉛筆を使って、四季の光と風が優しい風景画を描き続けている(本文とは関係ありません)=坂井公秋撮影

 ◇耳をふさぎたくなる言葉

 「忘れちゃったの?」

 「それ、もう聞いたよ」

 「何度、同じことを言わせるの?」

 「こんな簡単なこと、できないの?」

 「もう、困らせないで」

 「勝手なことしないで」

 「じっと、していてよ」

 面と向かって言われるだけではない。本人に聞こえていないと思っているのか、誰かにこんなことをしゃべっている。

 「最近、進んじゃって」

 「ここまで、ぼけるとはねえ」

 「もう、以前の面影はありませんよ」

 本人がすぐ横にいるのに「分かっちゃいないから平気よ」と悪口を言ったり、介護の苦労を愚痴ったりする家族もいる。

 ◇自分を信じられない

 「自信」とは、自分自信を信じる心である。今までできていたことができなくなった上に、覚えられないことや、できないことを責められたのではかなわない。認知症の進行以上に、身近な人の態度や言葉が影響し、自分を信じることができなくなっていく。

 「なぜ、こんなことができないんだ」と自分をさいなむ場面や「これから私、どうなっちゃうんだろう」と底知れぬ不安に包まれる時間が増えていく。

 ◇医療側の優しさと配慮

 以前、認知症の診察の際に行う評価テストで「なぜ、あんな簡単な問題に失敗したのか!」と落ち込んだ認知症の人の話を書いた。評価テストでは、年齢を聞いたり、その日の年月日や曜日を言ってもらったり、さらには、今いるのはどこかと質問したりする。簡単な計算問題や記憶力を問う問題もある。

 簡単なだけに、できないときの自信喪失感は大きいのだ。それは抑うつにもつながり、症状の悪化を招きかねない。認知症の症状を改善しようとする医療機関で、悪化させて良いはずがない。

 検査する側が、される側の痛みにどれほど敏感かが問われることになる。ある医師は、答えられないと分かった途端に、答えをさりげなく教える。間違えそうな問題の前には「一見、簡単そうに思えても、実は引っかけ問題で、私もよく間違えるのですよ」と言って、答えられないときのダメージを少なくなる配慮を行ったりもする。認知症の人との対応には、ここまでの優しさが必要なのだ。だが、それほど気を使ってくれる医療機関がどれほどあるだろうか。

認知症と診断されて10年間、ある男性の日課はこの道の散歩だ。適切なケア・関わり・医療が合わされば、軽度のままで長年生活することも可能である(本文とは関係ありません)=坂井公秋撮影

認知症と診断されて10年間、ある男性の日課はこの道の散歩だ。適切なケア・関わり・医療が合わされば、軽度のままで長年生活することも可能である(本文とは関係ありません)=坂井公秋撮影

 ◇動作を分解して考える

 私たちは、洋服を着る、顔を洗う、歯を磨く、食事をする、風呂に入るなどの日常の動作を何げなくやっている。掃除・洗濯・炊事などの家事も、慣れた人にはどうということはない。しかし、認知症になると、今まで普通にできていた動作ができなくなる。

 しかし、どれもこれもできなくなるわけではなく「ある動作」の「ある部分」ができなくなることから、症状が始まっていく。

 歯磨きを例に取ろう。歯磨きは幾つもの動作で成り立っている。食後などに歯を磨く習慣を覚えている、洗面所まで移動する、水道の蛇口を回して水を出す、歯ブラシを水でぬらす、歯磨き剤を歯ブラシに付ける、前歯や奥歯など順序立てて歯を磨く、うがいのコップに水を入れる、水を口に含む、うがいをする、水を吐き出す、蛇口を閉める、道具を片付けるなど、さまざま動作に分解できる。ただ、認知症になると、この一連の動作すべてができなくなるわけではないということを知っておかなければならない。

 ◇動作の一部を補う

 「歯磨きの時間ですよ」と伝えるだけでよい人もいれば、「歯ブラシに歯磨き剤を付けてください」と細かく指示を出すことが必要な人もいる。口頭による助言や指示だけでは無理な人でも、歯磨きの道具を順序良く渡せば動作ができる人もいれば、歯磨きの動作そのものをやって見せて、まねをしてもらうことで歯磨きができる人もいる。

 つまり、動作を分解してできない部分を知り、その部分だけをさりげなく補えば、認知症の人は日常の動作を取り戻すことができ、同時に自信もまた奪還できるのだ。

 逆に「認知症になったから仕方がない」と諦めては、本人のできることを取り上げてしまうことになる。ある認知症の男性が「私たちができることを奪わないでほしい!」と認知症本人の座談会で力説していたことを思い出す。

 このように動作を分解してできない部分を知り、その部分にピンポイントでサポートを行うことは、やや難しいかもしれない。そんなときには、医療や介護の専門職に応援を頼むことを検討したい。介護保険制度が始まり20年以上がたつ。認知症の人に対するケアは、それなりに進化していると思ってもよい。

 ◇家族の変化

 そうは言っても、本人が自信をなくしてしまうような関わり方をするのが家族というものだ。なぜなら、家族を支え、壮健だった親が認知症になっている事実は、許容できるものではないからだ。

 だから、ついつい忘れたことやできないことを責めたり、「あれをして」「これは駄目」などと声を荒らげたりしてしまう。

 認知症ケアの専門職から「自信を奪わない接し方」を教えてもらったとしても、それができるようになるまでに1年以上かかることもある。

 ある認知症の専門医に家族が「先生、やっと忘れることを許せるようになりました」と報告した。最初の受診から2年がたっていた。その家族は父親に向かって「私が代わりに覚えておくから大丈夫」と言えるようになったとも話す。横にいる父親は、これまで見たことのない温和な表情を浮かべていた。(了)

 ▼佐賀由彦(さが・よしひこ)さん略歴

 ジャーナリスト

 1954年、大分県別府市生まれ。早稲田大学社会科学部卒業。映像クリエーター。主に、医療・介護専門誌や単行本の編集・執筆、研修用映像の脚本執筆・演出・プロデュースを行ってきた。全国の医療・介護の現場(施設・在宅)を回り、インタビューを重ねながら、当事者たちの喜びや苦悩を含めた医療や介護の生々しい現状とあるべき姿を文章や映像でつづり続けている。

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