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(最終回) 過去より未来、高み目指す =多忙や病気も前向きに
2002年に順天堂大学医学部の心臓血管外科教授に就任して以来、通勤に使う時間とエネルギーがもったいないから、月~金曜日まで病院に泊…
(第2回)「赤ひげ」見て医師志す=競技ダンスで北海道王者
石部氏が医師になろうと思ったのは、高校3年生 の時に黒沢明監督の映画『赤ひげ』をリバイバルで観たのがきっかけだった。 「加山雄三が…
(第23回) 「医師目指す動機付けを」 =高校生対象、体験プログラム
3年前に新聞社の後援を得て、天野氏は高校生を対象にした医療体験プログラムを開始した。公募した作文で選考し、医療者目線で、手術室や病…
(第1回)平凡で目立たぬ子ども時代=父の会社倒産、勉強にスイッチ
◇小学校の通知表はほとんど3 「小学校の通知表で一番多かったのは3。特に運動ができるわけでもなく、クラスの中では目立たない存在でし…
適応障害は環境を変えればそれでいいの?
4月、5月は、会社や学校に新しく入ったり、異動に伴い上司や部下が変わったりして、周りの環境が変化する時期。適応障害によるトラブルが…
葛藤と再生の物語 「午後8時の訪問者」
映画は好きですが、なかなか見に行く時間がありません。ただ、以前雑誌に映画の評論を書いていたことがあるので、時々心理的なバックグラウ…
「北帰行」 吉岡利忠 弘前学院大学学長
東京慈恵会医科大学に入学したが、「東京」と名が付いているからか、入学生のほとんどが東京を含めた関東圏からであった。青森県弘前市出身…
ポジティブな言葉は最高の栄養 増田明美さん
私は昔、マラソンの選手として活躍しました。そして引退後はスポーツライターとして、執筆活動や駅伝・マラソンの解説、最近はナレーション…
正直さは、脳で分かる? 阿部修士特定准教授
正直な人とうそつきの人の脳は違うのだろうか?そんな疑問に答える研究には驚きです。昨年の第5回日本ポジティブサイコロジー医学会学術集…
(第22回) 埼玉知事選に出馬要請 =3日間「その気」に
2012年2月に行った天皇陛下の心臓バイパス手術で、天野氏の名前は全国に知られた。しかし3年以上がたち、「もう終わったことだから、…
(第21回) 「日常戻って初めて成功」 =健康寿命への思い強く
天皇陛下の手術が終わり、記者会見場となった東大講堂に向かうと、あふれんばかりの記者、カメラマンが待ち受けていた。着席するとテーブル…
(第20回) 陛下手術で「秘策」 =心原性脳梗塞防ぐ
天皇陛下の心臓バイパス手術が行われた際、手術後に初めて公表された「秘策」があった。脳梗塞予防のための左心耳縫縮術だ。左心耳は左心房…
(第19回) 平常心で丁寧な手術 =言葉遣いは混乱
手術当日の2012年2月18日を迎えた。天皇陛下の3本の冠動脈のうち「左回旋枝(ひだりかいせんし)」と「左前下行枝(ひだりぜんかこ…
(第18回)陛下の手術チーム始動=初ミーティングで成功確信
宮内庁は2012年2月12日、天皇陛下が心臓バイパス手術を受けられると発表。東大病院で6日後に行われる手術は、東大と順天堂大の合同…
(第17回) 天皇陛下の執刀医に =片付け中、1本の電話
「珍しく部屋の片付けをしていたら電話がかかってきたんですよ」。2012年2月10日午後3時ごろ、学校法人順天堂の理事長からだった。…
(第16回) 人工弁適合性に気付く =父の死因、20年越しの解答
東日本大震災が起きた時、天野氏が順天堂医院で行ったのは僧帽弁置換術。以前勤めていた新東京病院で執刀した患者に対する再手術だった。大…
(第15回) 大震災もひるまず執刀 =悔悟の念、吹っ切る契機に
東日本大震災が起きた2011年3月11日午後2時46分、天野氏は東京都文京区の順天堂医院で執刀中だった。手術室で当時行われていたの…
(第14回) 若手育成は礼儀から =褒めずにチャンスを
人は褒めて育てるという考えが主流になり、医師の育成が難しくなってきたと言われる。後進の育成は天野氏にとって重要な仕事の一つだが、世…
(第13回) 大学教授に就任 =マイナスからのスタート
昭和大学横浜市北部病院循環器センター長(教授)に就任し、社会的な地位を手にしたが、着任後すぐに間違った選択だったことに気付いたとい…
(第12回) 不安契機、善行心掛ける =「プラスの連鎖」と前向きに
手術の腕はどんどん上がり、症例数も伸びて手術数も年間493例、うち冠動脈バイパス手術は約350例でついに日本一になった。心臓血管外…
(第11回) オフポンプ手術で先陣 =「使命感」原動力に
数多くの症例を経験すると、従来の手術方法では救命できない重症患者に出会うことも増えた。天野氏の元には、他の病院では手の施しようがな…
(第10回) 新天地で年300症例 =失意の退職、気持ち固める
「もう現場に出てこなくていい」。父親の葬儀を終え、1週間ぶりに千葉県鴨川市の亀田総合病院に出勤した天野氏は、上司から突然言われた。…
(第9回) 父の死「無駄にせず」 =心臓外科医究める原点に
埼玉県内の大学病院で行われた父親の3度目の手術には厳選されたスタッフが集められ、天野氏も手術室内での見学を許可された。僧帽(そうぼ…
(第8回) 父親再手術も、3年後に悪化=執刀の上司と決裂
心臓外科医としての歩みを語る上で、欠かせないのが心臓弁膜症を患っていた父親の存在だ。父親は若い時から病弱だったが、天野氏が高校2年…
(第7回) 「先見の明」医局残らず =一般病院で手術能力磨く
入学時の初心を貫徹して、留年することなく1983年3月に日大医学部を卒業した。5月に医師国家試験に合格、順調に医師への第一歩を踏み…