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正直さは、脳で分かる? 阿部修士特定准教授
正直な人とうそつきの人の脳は違うのだろうか?そんな疑問に答える研究には驚きです。昨年の第5回日本ポジティブサイコロジー医学会学術集…
(第22回) 埼玉知事選に出馬要請 =3日間「その気」に
2012年2月に行った天皇陛下の心臓バイパス手術で、天野氏の名前は全国に知られた。しかし3年以上がたち、「もう終わったことだから、…
(第21回) 「日常戻って初めて成功」 =健康寿命への思い強く
天皇陛下の手術が終わり、記者会見場となった東大講堂に向かうと、あふれんばかりの記者、カメラマンが待ち受けていた。着席するとテーブル…
(第20回) 陛下手術で「秘策」 =心原性脳梗塞防ぐ
天皇陛下の心臓バイパス手術が行われた際、手術後に初めて公表された「秘策」があった。脳梗塞予防のための左心耳縫縮術だ。左心耳は左心房…
(第19回) 平常心で丁寧な手術 =言葉遣いは混乱
手術当日の2012年2月18日を迎えた。天皇陛下の3本の冠動脈のうち「左回旋枝(ひだりかいせんし)」と「左前下行枝(ひだりぜんかこ…
(第18回)陛下の手術チーム始動=初ミーティングで成功確信
宮内庁は2012年2月12日、天皇陛下が心臓バイパス手術を受けられると発表。東大病院で6日後に行われる手術は、東大と順天堂大の合同…
(第17回) 天皇陛下の執刀医に =片付け中、1本の電話
「珍しく部屋の片付けをしていたら電話がかかってきたんですよ」。2012年2月10日午後3時ごろ、学校法人順天堂の理事長からだった。…
(第16回) 人工弁適合性に気付く =父の死因、20年越しの解答
東日本大震災が起きた時、天野氏が順天堂医院で行ったのは僧帽弁置換術。以前勤めていた新東京病院で執刀した患者に対する再手術だった。大…
(第15回) 大震災もひるまず執刀 =悔悟の念、吹っ切る契機に
東日本大震災が起きた2011年3月11日午後2時46分、天野氏は東京都文京区の順天堂医院で執刀中だった。手術室で当時行われていたの…
(第14回) 若手育成は礼儀から =褒めずにチャンスを
人は褒めて育てるという考えが主流になり、医師の育成が難しくなってきたと言われる。後進の育成は天野氏にとって重要な仕事の一つだが、世…
(第13回) 大学教授に就任 =マイナスからのスタート
昭和大学横浜市北部病院循環器センター長(教授)に就任し、社会的な地位を手にしたが、着任後すぐに間違った選択だったことに気付いたとい…
(第12回) 不安契機、善行心掛ける =「プラスの連鎖」と前向きに
手術の腕はどんどん上がり、症例数も伸びて手術数も年間493例、うち冠動脈バイパス手術は約350例でついに日本一になった。心臓血管外…
(第11回) オフポンプ手術で先陣 =「使命感」原動力に
数多くの症例を経験すると、従来の手術方法では救命できない重症患者に出会うことも増えた。天野氏の元には、他の病院では手の施しようがな…
(第10回) 新天地で年300症例 =失意の退職、気持ち固める
「もう現場に出てこなくていい」。父親の葬儀を終え、1週間ぶりに千葉県鴨川市の亀田総合病院に出勤した天野氏は、上司から突然言われた。…
(第9回) 父の死「無駄にせず」 =心臓外科医究める原点に
埼玉県内の大学病院で行われた父親の3度目の手術には厳選されたスタッフが集められ、天野氏も手術室内での見学を許可された。僧帽(そうぼ…
(第8回) 父親再手術も、3年後に悪化=執刀の上司と決裂
心臓外科医としての歩みを語る上で、欠かせないのが心臓弁膜症を患っていた父親の存在だ。父親は若い時から病弱だったが、天野氏が高校2年…
(第7回) 「先見の明」医局残らず =一般病院で手術能力磨く
入学時の初心を貫徹して、留年することなく1983年3月に日大医学部を卒業した。5月に医師国家試験に合格、順調に医師への第一歩を踏み…
(第6回)型破りの「文武両道」 =苦手克服より得意分野
「勉強ができるだけの偏差値エリートには負けない」「早く一人前になって患者さんを助けたい」。熱い思いで医学部に入学した天野氏は、浪人…
(第5回)日大医学部に入学 =経済格差を目の当たりに
日本大学医学部への入学が決まった天野氏が直面したのが、周囲との経済格差である。当時は私立大学の医学部となれば、親が医師という学生…
(第4回)パチンコに熱中、3浪目に =最後は猛勉強、医師の道へ
「次は何とかなるだろうという曖昧な気持ちでは行動が伴うはずもない」。天野篤氏は大学受験に続けて失敗し、2年目の浪人生活に突入した。…
(第3回)病弱な父見て医師志す =勉強のスイッチは入らず
高校時代の天野篤氏は勉強になかなか身が入らなかったが、医学部に進む気持ちは固まっていた。理由は二つあり、一つは親戚の医師の影響、も…
(第2回)スキー没頭、成績急降下 =高校からは「暗黒時代」
田園風景が広がる埼玉県蓮田市の自宅から、大宮駅で電車を乗り継ぎ、浦和市(現さいたま市)の埼玉大学教育学部付属中学に通い始めると、…
(第1回)手先器用なプラモ好き =実家は燃料店、教育熱心な母
「ガソリンが揮発油と言われていた時代で、手回しの計量機を使っていました」ー。戦後復興の息吹が残る1955年10月18日、天野篤氏は…