妊娠中の生活の心得 家庭の医学

 妊娠したからといって、いままでとまったく異なる生活になるわけではありません。胎児のためにすこしだけ気をつけなくてはならないこと(酒、喫煙、運動など)はありますが、基本的にはいままでどおりでよいのです。ただし、これまで食生活や睡眠など日常生活の乱れがある人は、今後の育児のこともあるので、生活を見直してみましょう。
 基本的には、無理のない自然体の生活でよいのです。妊娠についての知識はある程度は必要ですが、なにもかも病院・医院で教えてくれるわけではありません。なにか1冊妊娠出産に関する本を読んでみてください。
 また、保健所・保健センターや病院・医院でおこなっている母親学級、両親学級に参加しましょう。生活している地域で新しい仲間ができ、今後出産や育児で長いおつきあいができるかもしれません。

■食事の注意
 胎児が成長するのに必要な栄養は、すべて母体の血液中にあるものでまかなわれます。栄養が不足していると、胎児はからだをつくり上げなくてはならないので、大人以上に大きな影響を受ける可能性があります。特に偏食の人は出産後育児をするうえで、子どもが偏食にならないためにも注意しましょう。
 いまでは食生活は豊かで、特に妊娠したからといって量をふやす必要はありません。栄養をバランスよくとることを考えましょう。妊娠中の体重増加は、身長に応じた妊娠前の理想体重(BMI22の体重)から7~12kgとなっています。
 でんぷん質(主食)は特に多くとる必要はありませんし、糖質のとりすぎは注意してください。脂質は脂溶性ビタミンをとるためにも必要ですが、良質な脂質、特に植物性脂肪をとるようにしましょう。たんぱく質はからだをつくるのにもっとも多く必要な栄養素ですから、良質なたんぱく質(脂肪の少ない肉、魚や大豆など)をつとめて摂取します。
 ビタミンやミネラルを摂取するためには、緑黄色野菜をはじめとするいろいろな野菜、果物や牛乳やチーズなどの乳製品もよいでしょう。また、貧血の予防のために鉄分を多く含む食品(レバー、こまつな、ひじきなど)も必要です。
 塩分は1日7~8g以下(特に妊娠後半期)がよいのです。塩分をとりすぎると血圧が上がり妊娠高血圧症候群の原因になります。妊娠初期から薄味を心掛けてください。

■衣服
 妊娠中はふだんと同じ服装でよいです。以前は冷えないようにとよくいわれたものですが、いまは暖房も完備されており、むしろ夏のクーラーでの冷えすぎに注意するくらいでよいでしょう。おなかまわりはしだいに大きくなってきますので、おなかに負担のない動きやすいものがよいでしょう。下着はマタニティのものを用意します。
 腹帯は妊娠5カ月の“戌(いぬ)の日”に安産を祈願して巻くしきたりがあります。儀式ですので、その後は特に腹帯をつける必要は医学的にはありません。仕事をするときはマタニティーガードルをつける人が多いようですが、別につけなくてもかまわないのです。
 靴はかかとの高いものや安定性のわるいもの(厚底靴やミュールなど)はやめたほうが無難です。長時間はいても疲れないものがよいでしょう。

■家事
 からだに負担にならなければ、ふだんと同じでよいのですが、避けたいことは、重いものを持つこと、長時間多くの仕事をすること、中腰の姿勢を続けることです。おなかがはってきたり疲れたら座るか横になって休むようにしましょう。
 台所でも長時間立つことは避け、ときどき休みながら、座ってできることは座ってするなどの工夫が必要です。掃除もおなかに負担のかかる中腰や前かがみの姿勢はつらいものです。また、風呂場などですべらないよう注意しましょう。出産後は育児も加わるので、いままでどおりに家事ができるとは限りません。妊娠中から夫にできることは頼み、家事に慣れてすすんで協力してもらうようにするとよいでしょう。
 買い物も大きいもの重いものは夫の協力が得られるときに買い、ふだんは片手に持てるくらいの量がよいのです。また混雑しない時間帯を選び、デパートなどでも長い時間歩き回ることはおすすめできません。

■持病のある人の心得
 持病のある人は、妊娠に支障があるか否かあらかじめ主治医に確認しておくことが必要です。妊娠すると通常は全身に妊娠前の約1.5倍の負担がかかります。また、育児も相当な負担になりますので、家族の協力が得られるかどうかも重要な条件となります。
 一般的にいって、薬を使うことによってふつうの生活ができる程度であれば、妊娠は可能です。ただし薬によっては妊娠中使えない薬もありますので、よく主治医と相談してください。自分の判断で妊娠したからといってかってに薬を中止することはたいへん危険です。母体の状態がわるければ胎児の状態はより一層わるくなるのです。安全な薬もたくさんありますので、よく確認してください。

■予防接種
 妊娠中に予防接種は、通常おこなうことはあまりありません。特にポリオ、BCG、風疹(ふうしん)、水痘(すいとう:水ぼうそう)、麻疹(はしか)は胎児に影響があるとされ、してはいけない(禁忌〈きんき〉)ことになっており、妊娠前に受けても2カ月は避妊することになっています。
 そのほかは、どうしても必要であればかまわないとされています(3種混合、日本脳炎、B型肝炎、インフルエンザ、狂犬病、黄熱〈おうねつ〉病)。妊娠中重症化しやすいインフルエンザや新型コロナウイルス感染症は、むしろ接種したほうがよいとされています。妊娠中でもよいでしょう。

■乳房の手当て
 妊娠中は乳房がはり、色素沈着が起こるために乳首や乳輪部が黒ずんできます。乳首に問題がなければ、特になにもしなくてよいのですが、乳首が小さい扁平乳頭や乳首が中に入りこんだ陥凹(かんおう)乳頭の場合は、授乳がうまくできない可能性があります。病院・医院で指導してくれますが、妊娠16週以降になったら入浴時に乳首をひっぱり出すような軽いマッサージをしたほうがよいでしょう。
 ただし、乳首を刺激すると子宮が収縮するしくみになっていますので、おなかがはった場合は中止します。扁平乳頭やくぼんだ乳頭の人には乳首を無理なく出すブレストシールド(シリコン製の乳首カバーのようなもの)という器具も市販されています。

■性生活
 特に安静を指示されている場合や、出血や下腹痛などのある場合以外は支障ありません。ただし、あまり激しい性交や過激なことは避けたほうがよいでしょう。妊娠中は腟(ちつ)などの粘膜が充血して出血しやすくなっていますので傷つけないように注意してください。夫婦とも清潔を心掛けて、あらかじめシャワー浴や入浴するようにします。また、おなかに負担がかからない体位を工夫しましょう。
 セックスは夫婦の大事なコミュニケーションの一つですから、お互いに相手を思いやることが重要です。おなかが大きくなって疲れやすい妻にとっては抱きしめたり、ふれあうだけでよいという人もいるでしょう。みんなと同じである必要はないので、ご夫婦でよく話しあってみましょう。

■胎教と十分な睡眠
 お母さんがここちよいと感じていると、胎児の状態も安定することがわかっていますので、母体に大きなストレスやショックを与えることは禁物です。母親がやさしい音楽を聴いたり、楽しい家庭の雰囲気に満足することによって、胎児は健全に成長していくことができます。
 妊娠中は疲れやすくなるので、十分な睡眠や休息が必要です。睡眠時間は7~8時間はとるようにしましょう。眠れなくても部屋を暗くして横になることによって、腎臓や子宮を流れる血流が増加し、からだは休息がとれます。眠れないときは昼寝で補うこともよいでしょう。
 妊娠中は特にからだを清潔にするようにしましょう。新陳代謝がさかんになり、汗もかきやすく皮脂なども多くなるためです。シャワーでもかまいませんが、ぬるめのお湯にゆっくりつかるほうがリラックスできるでしょう。シャンプーはおなかを圧迫しない姿勢でしてください。

■旅行は妊娠中期に
 健康な胎児は運動では流産しないとされていますが、通常の生活をしていても妊娠初期には流産が起こりやすいので、あえてこの時期に、交通機関を使って見知らぬ土地へ行くことはすすめられません。思わぬトラブルやアクシデントがあるかもしれませんし、乗り物によるつわりの悪化で、かえってつらい思いをするかもしれません。一般的には、妊娠中期の安定期(妊娠16~28週)が望ましいとされています。海外旅行もかまいませんが、移動が多い旅行や医療事情のよくないところは避けましょう。長時間のドライブやきついスケジュールで、ふつうの人でも疲れるような旅行もよくありません。疲れたら休憩をとりながらゆっくり滞在できるような旅行なら、気分転換にもなるしよい思い出になるでしょう。
 母子手帳と健康保険証は必ず持参してください。

■運動(スポーツ)
 妊娠したからといって必ずスポーツをする必要はありません。自宅でストレッチをしたり散歩でもよいのです。最近では妊婦水泳やマタニティービクス・ヨガがさかんですが、これは安定期に入ってからになります。欧米ではからだの接触のあるスポーツ、跳躍のあるスポーツ以外はなんでもよいとしています。もともと日常やっているスポーツであれば、それを軽くやってください。
 おなかが大きくなると姿勢の変化から腰痛が出やすくなりますが、運動によって軽くすることができます。また、便秘の予防やストレス解消にもスポーツは役立ちますし、全身の血流もよくなります。
 自転車に乗ったからといって流産することはありませんが、おなかが大きくなってからはバランスがわるくなりますので、避けたほうが無難です。自転車に乗るときは振動がおなかにひびかないように、また長時間乗るのはやめましょう。
 車の運転は慣れているのならかまいませんが、注意力やとっさの反応がにぶくなっているので注意が必要です。シートベルトは腹部を避けて装着してください。

■嗜好品
・たばこ…たばこは胎児に害があることははっきりしています。たばこの成分はすべてストレートに胎児に運ばれ、いろいろな悪影響を及ぼします。まず出生時体重の少ない子が生まれること、周産期死亡率(死産と生後1週間未満の死亡)が高くなること、乳児突然死症候群が起こりやすいことが知られ、また、大きくなってからも知能で劣ることがあるとされています。妊娠したら胎児のためにたばこは絶対やめてください。母親が吸わなくても、夫が吸っていれば(受動喫煙)同じことです。乳児にも悪影響が出ますので、この機会に禁煙してもらいましょう。たばこは百害あって一利なしですから。
・アルコール…胎児性アルコール症候群は知能障害、発育障害、運動障害のほか、特徴のある顔つきやさまざまな小さな異常があり、もともとはアルコール依存症の母親から生まれた児にみられるものです。ただ妊娠中に摂取したアルコールの量が少なければ心配ないともいいきれないようです。妊娠前から禁酒できればいちばんよいのですが、妊娠に気づく前に飲んでしまった程度の量なら心配ありません。妊娠がわかったら禁酒しましょう。
・コーヒー・紅茶…1日2~3杯程度であればまったく心配はありませんが、飲みすぎには注意しましょう。カフェインが問題とされていますので、少なめにするに越したことはありません。
・香辛料…常識的な量ならまったく支障ありません。激辛なものは避けたほうが無難でしょう。
・有機水銀(魚)…大型の肉食魚(かじき、さめほか)には水銀が濃縮されていることが知られていますが、現在われわれがふつうに食べている量では問題はありません。中小の魚、たとえばいわし、あじ、さば、さんまなどはまったく問題ありませんし、栄養上も優れていますので十分摂取してください。

■働く女性のために
 妊娠・出産後も仕事を続けるのがあたりまえの時代になってきました。1998年4月に男女雇用機会均等法の改正の施行と同時に労働基準法や育児介護休業法が改正され、母性保護の制度がいっそう充実したものとなりました。それまでは「妊娠中及び出産後の健康管理に関する措置」は事業主の自主的な努力であったものから、法的な義務となったのです。
 まず妊産婦健診(妊婦と産後1年以内の女性)を受ける時間の確保が義務づけられました。また、妊娠中の通勤緩和(時差出勤、勤務時間の短縮など)、休憩(時間延長、回数増加など)、医師などの指導のある場合は作業制限、勤務時間の短縮、休業などを求めることができます。
 医師などの指導を勤務先に伝えるために、母性健康管理指導事項連絡カードがあり、母子手帳にのっています。拡大コピーして利用しましょう。厚生労働省のホームページの情報検索からも入手できます。
 仕事がきつい場合、緩和や変更を求めることができます。労働基準法では、妊産婦が申し出た場合には、事業主は時間外労働、休日労働、深夜業(午後10時~午前5時)につかせることはできません。重い物を扱う仕事、高温多湿、有害ガスなど危険な業務に妊産婦をつかせることも禁止されています。また妊娠中の女性が負担の少ない仕事に替わることを申し出たときは応じることが決められています。
 産前休業は6週間みとめられていますが、本人の都合で働いてもかまいません。ただし、からだは休養が必要ですし、なるべく休んだほうがよいでしょう。働くにしても短時間にしたいものです。また、多胎妊娠(ふたご以上)の場合は14週間とれるようになっています。産後休業は8週間みとめられており、本人が申し出ても働くことはできません(強制休暇)。ただし産後6週間以後、医師が可能とみとめた場合は働くことができます。
 育児介護休業法により、子どもが1歳になるまで育児休業(育休)が男女ともとれるように決められました。現在は必要に応じて3歳になるまで育休取得ができます。交代で数カ月ずつとったり、途中で切り上げることも可能です。育休をとったために降格、減給、解雇されることは禁止されています。妻が専業主婦でも産後8週間まで夫は育休をとることができます。
 1歳未満の子を育てている女性労働者の場合、労働基準法により1日2回30分ずつの育児時間(1時間にまとめることも可)をとることができます。
 3歳までの子を育てている男女労働者から申し出があれば、事業主は育児休暇取得、短時間勤務、フレックスタイム、就業時間のくり上げくり下げ、所定外労働をさせない、託児施設などへの便宜をはかるなど、どれかで対処しなければなりません。さらに小学校入学まではこれに準じた対処をするよう求められています。

■母親学級・両親学級
 病院・医院、保健所などでは妊娠中の女性やカップルを対象に、妊娠中の注意、出産の経過、育児について正しく理解してもらうことが目的で開かれています。週に1回、全4回程度のところが多いようです。
 妊娠中の栄養、用意するもの、出産時の呼吸方法や補助動作、赤ちゃんの世話のしかたなど実技指導などもおこないます。特に夫の立ち会い分娩(ぶんべん)を希望する場合は夫の両親学級への参加が求められます。医師ばかりでなく助産師、栄養士、歯科衛生士などがいろいろな話をしてくれます。病院・医院の外来ではなかなか質問できる時間がないのが実状ですので、助産師・看護師と顔見知りになって、こういう機会を利用してゆっくり教えてもらい不安を解消しましょう。
 出席者は同じころ出産しますので、これから育児をとおして仲間づくりにも役立ちます。特に地域の保健所であれば、近隣の友だちができるきっかけになるかもしれません。

(執筆・監修:恩賜財団 母子愛育会総合母子保健センター 愛育病院 産婦人科 部長 竹田 善治)
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