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「ブルーマン」を成功に導いた日本人がNYで乗り越えてきたもの 演劇プロデューサー・出口最一さん

 「ブルーマン」といえば、世界的ブームを巻き起こした米ニューヨーク・オフブロードウェイのミュージカル。でも、その元々のオリジナルプロデューサーが日本人ということをご存知の方は、そう多くはないのではないでしょうか。

 ブルーマンをニューヨークの小さなキャバレーで見つけ、オフブロードウェイ劇場(ブロードウェイにある客席数の比較的少ない劇場)から世界に送り出したのは、日本人の演劇プロデューサー、出口最一(まこと)さんです。

ニューヨークのアスタープレイス劇場でプレビュー公演の合間に「ブルーマン」の出演者と歓談する出口さん(左端)【出口さん提供】

ニューヨークのアスタープレイス劇場でプレビュー公演の合間に「ブルーマン」の出演者と歓談する出口さん(左端)【出口さん提供】

 この1月に一時帰国した出口さんに、ブロードウェイというショービジネスの最先端で活躍することのストレス、そこからの回復力についてお話を伺いました。

 ◇2回殺されかけて

 海原 出口さんと初めてお会いしたのは10年ほど前、ニューヨークの出口さんのオフィスでした。その時、出口さんの「ニューヨークというのは、元気で若くなければ生きていけない場所です」という言葉が、強く印象に残っています。今も状況は同じですか。

 出口 同じです。今は特に、バブルで物価がめちゃめちゃ高くなり過ぎて、サバイバルするのに皆、必死です。

 家賃も高いし、ラーメンが1杯20ドルとか。土地代が高いから、そのくらいチャージしないと、やっていけないのだろうと思うけど。庶民は苦しんでいます。

 海原 ブロードウェイの観客数にも影響は出ているのですか。

 出口 ブロードウェイに来る人は観光客で、ミュージカルを一度は見ておこうという人がいるし、ローカルの人は地元特典の割引で見たりするから、影響はないですね。

 
海原 日々の暮らしで、命の危険を感じることもありますか。

 出口 これまで2回、殺されかけました。一度は米国に行って間もなくの頃で、深夜、歩いて帰る途中、後ろから突然、黒人のすごく大きな男数人に囲まれ、首を絞められて、持ち上げられ、息ができなくなり、首が折れそうで。

 意識がもうろうとして、思わず「神様、助けて。助けてくれたら、人のためになることをします」と祈りましたね。

 そしたら、前方から人の足音が聞こえてきて、男たちがサァーッと逃げたんですね。私は地面に放り出されて、口から泡を吹いていて。

 前から来た人に「助けて」と言ったら、こちらをのぞき込んでいるだけで、何もしないで行ってしまった。その人、ホームレスだったんですね。でも、それで助かった。

ニューヨークに渡ってすぐの頃。劇団での活動で舞台監督(左)と一緒に音響係を務める【出口さん提供】

ニューヨークに渡ってすぐの頃。劇団での活動で舞台監督(左)と一緒に音響係を務める【出口さん提供】


 ◇劇団四季を辞めて渡米

 海原 それは大変でしたね。そういうニューヨークで、仕事をやってみようと、最初に思ったのは20代の頃ですよね。

 出口 20代で劇団四季の劇団員というポストも得て、俳優活動をしていたんです。四季は当時、倍率が男で80倍でした。

 このままやっていけるというポストと、安定収入があったんですが、ミュージカルはブロードウェイから輸入されたもの。どうしても、本場でやりたいという思いが突き上げてきて、どうしようもなかったんです。

 周りから「そんなリスクのあることはやめろ」と言われていました。そんな時、ちょうど、文化庁でブロードウェイの劇団の許可が下りれば、奨学金が出るという制度ができて、ニューヨークの劇団からの許可も下りたので、劇団四季の主宰者の浅利(慶太)さんに相談したんです。

 浅利さんには「行くなら奨学金などもらわず、一人で四季を辞めて行け」と言われ、結局、四季を辞めて行くことにしました。


 海原 奨学金はどうなったんですか。

 出口 もらえなかったです。だから最初、米国の劇団で演出家の雑用係から音響や照明の手伝い、台本の書き直しの印刷など、何でもやりました。

 そのうち、信用されて、いろいろな仕事を任されるようになり、舞台のスケジュール管理や舞台監督との連絡など、マネジメントも任されるようになりました。

 忙しかったですね。毎日、睡眠時間が3時間くらい。控室で寝てる日もあった。ここで生きていけるのかな、と思う日が続きました。

米国のショービジネスの世界で成功を収め、レギュラー審査員として出演していたCBSのオーディション番組「The World’s Best」の収録中の一コマ【出口さん提供】

米国のショービジネスの世界で成功を収め、レギュラー審査員として出演していたCBSのオーディション番組「The World’s Best」の収録中の一コマ【出口さん提供】


 ◇1作15億~20億円の資金集め

 海原 毎日がサバイバルという感じですね。今でも同じですか。

 出口 今は今で、別の意味のサバイバルです。ブロードウェイには40の大劇場があり、そこに入り込もうとする、とてつもない数のプロデューサーたちがいるわけです。そことの競争です。

 僕はマイノリティーでアジア人だし。周りは白人かユダヤ人ばかりです。その人たちには、個別に集まりがあるわけです。

 その人たち独特の言葉や祝日があり、すでに出来上がった強固なコミュニティーがあるので、そこになかなか入っていけないんですね。

 最終的に強い兄弟感覚があり、それを乗り越えて、その組織に入っていくのは、かなり覚悟をしなければならないし。

 かといって、日本人を捨て、言いなりになって、そちらに吸収されてはいけない。そのバランスが難しいです。


 海原 米国のプロデューサーは、お金を集めるところから始めねばならないんですね。


 出口 そうです。役者やデザイナー、ダンサーは、オーディションに受かればいいけれど、プロデューサーはその人たちを雇い、作品をつくり、劇場を取らなければならない。みんな、その劇場を押さえなければならない。作品の総製作費として15億円から20億円を集めるわけです。1本の作品で。


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