医学生のフィールド

先輩医師から学ぶ、機会に”飛び込む”力 ~外の世界へ飛び出し、見つけた産業医と行動科学の魅力~

 9月12日、行動経済学/産業医についてブログやTwitterで発信されているK先生の医学生向けオンライン講演会が開催されました。K先生はジョンズホプキンス大学でMaster of Public Health(公衆衛生学修士、以下MPH)を取得し、現在、企業の産業医としてご活躍されています。K先生が産業医になるまでの経緯や仕事としての魅力、行動経済学について教えていただきました。(文:メドキャリ編集部)

集合写真

 ◇外の世界へ飛び出し、選択肢を見つける

 厚生労働省の研究班がまとめた『医師の勤務実態及び働き方の 意向等に関する調査』(2017年、※1)によると、30代以下の医師のほとんどが勤務医、開業医、研究、教育を希望するという結果であり、医師においてはキャリアの多様化は十分に進んでいないのが実情です。

  K先生は大淀町立大淀病院事件(※2)をきっかけに、医療は現場に任せきりにするのでなく、マネジメントの観点が必要だと感じたそうです。そして中学3年生の時、「投資型医療」の実現を目指してMBA取得後に起業された山本雄士医師の存在を知り、医師と何かを掛け合わせれば、医療をマネジメントする仕事ができるのではないかと考えました。医学部に入学したものの、大学では臨床医になる方法しか教えてもらえず、他のキャリアを歩むための講義はありませんでした。

 ロールモデルにも出会えず悶々(もんもん)とした生活を送る中、「何かしないと変わらない」と一念発起し、医系技官、経営コンサルタント、医師弁護士、地域医療、研究者、産業医、国際保健など、臨床医以外の職業やあらゆる選択肢に触れるために行動を起こします。医系技官の仕事を知るためのセミナーを探して参加したり、WHOで活躍されている日本人医師に会うためにベトナムまで足を運んだり、研究室で実験や調査の手伝いをしたり、ありとあらゆることを試したそうです。外の世界へ飛び込んで何が自分に合っているのかを確かめることで、自分の向き不向きがわかったと言います。

 確かに医学生の生活は閉鎖的で考え方が偏りがちです。自分の大学の医学部生以外の人とほとんど接点を持たずに6年間を過ごす人もいるかもしれません。臨床医を目指している同じような仲間に囲まれているため、他の選択肢が見えづらくなってしまいます。外の世界へ飛び出し、いろいろな価値観に触れて、自身の興味の方向性を確かめることの重要性を改めて考えさせられました。

 ◇組織を動かす経験を積むため「産業医」の道へ

 K先生は初期研修中に携わった糖尿病教育の経験を通して、患者一人一人の行動変容を促さなければ医療全体の負荷が下がらないのではないかと考えたと言います。そこで、行動科学を学び、MPHを取得するためにジョンズホプキンス大学へ留学されました。ジョンズホプキンス大学の校是「Protecting Health, Saving Lives- Millions at a Time(健康を守り、命を守る、多くの人を一度に)」にもあるように、どうしたらより多くの人を守ることができるのかと考えた際、より多くの人を動かすマネジメント能力を身につけることが必要だと感じたそうです。その目標を達成するために大学院修了後、産業医というキャリアを選択されました。さらに病気を持つ人を1対1で診る視点も忘れてはならないとの思いから、訪問診療医として臨床現場での活動も継続されています。

 産業医は病気やケガを抱えた人の社会復帰や病気にならないように予防のお手伝いをし、労働者の健康づくりをサポートする役割を担っています。診断と治療のスペシャリストである臨床医とは異なる仕事です。具体的には「総括管理(産業保健を行うための組織体制の構築設)」、「作業環境管理(有害因子で健康を及ぼさない労働環境づくり)」、「作業管理(作業方法や時間などの管理)」、「健康管理(健康診断などひとりひとりの社員の健康管理)」、「労働衛生教育(健康に働くために必要な知識の普及)」と言った労働衛生の五つの管理を軸に仕事にしています。

 


図:K先生作成

 産業医の仕事は出社時間と退社時間が決まっていて、一日に行う仕事もはっきりしているということが印象的でした。医師になれば当直が割り当てられて、生活リズムが崩れるのが当たり前だと勝手に想像していましたが、産業医は定時の間という限られた時間の中で、幅広い業務を高いクオリティーで処理する能力が求められます。また産業医は他部門との連携、長期でさまざまな職種の人たちと施策を実行するためのフレームワークの作成等、汎用(はんよう)的なビジネススキルも必要とされます。

 将来どの選択肢を選ぶにしても、その職種の特徴をしっかりと知り、自分の求めているものは何なのか、明確にすることが大切だと思いました。

 ◇医療×行動経済学

 次のインスリンの話では、製品化されて100年たった今でも糖尿病をコントロールできている人は糖尿病で治療を受けている人の40%ほどで、科学技術が発達した今でも健康は行動によって決定づけられるという内容でした。だからこそ人間の行動を理解する上で医療の場でも行動経済学は役に立つのだということを強調されました。

 行動経済学とは「いつも合理的だとは限らない」、「状況に応じて好みが変わる」、「一つの脳ですべての情報を処理することは不可能」など人間の心理的あるいは感情的側面の現実に即した分析を行う経済学です。K先生によると、人間行動を観察することで、従来の経済学では示せなかった現象や経済行動を明らかにできると言います。

 行動経済学において用いられる「ナッジ」という言葉があります。「ナッジ」とは、ひじで軽く突くような小さなアプローチで自然な行動変容を促す仕掛けのことです。これは医療の世界でもよく用いられる手法です。病院の診察カードの裏面に次回の予約日時を書く欄を目にしたことはないでしょうか。全ての病院がこの方法を使っている訳ではないですが、これにより患者の無断キャンセルや遅刻が18%減少したという例(※3)もあるそうです。ナッジが身近に使われていて、知らぬ間に行動変容を促されていたことに驚きました。

 ただ、ナッジはあくまで解決策の一つでアプローチが必ずしも最適でないときもあり、社会的文化や美徳を変えること、規制、補助金、罰金、教育などの武器も行動変容において必要な場合もあります。ツールありきで考えるのではなく、PDCAを回しながら状況に応じてさまざまな概念を使いこなすことが重要なのだそうです。

 臨床医は病院内で患者と関わるため、病院外での患者のサポートは十分にできません。例えば糖尿病は放置すると網膜症・腎症・神経障害などの合併症が起こったり、透析治療が必要になったりすることもあります。食生活など患者の日々の生活が大きく病態を左右するため、臨床医が関与できることには限界があります。だからこそ医師が行動経済学を応用して患者が行動変容してみたくなる仕組みを作れば、医療に応用できて質の高い医療を提供できるのではないかと思いました。

 ◇キャリアに正解も不正解もない

 講演後、「理想の働き方を実現するために学生の内から起こせるアクションはあるのか」という学生から質問に対して、K先生は「自分自身で考えてほしい」と何度も口にされました。

 一人ひとり目指すキャリアは違うはずです。加えて、自分の目で実際に確かめてみないとわからないこともたくさんあるということだと思います。他人に正解を求めるのではなく、自分の頭で考え、行動することを忘れずに過ごしていきたいです。(了)

※1https://www.mhlw.go.jp/content/10800000/000652880.pdf
※2https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%B7%80%E7%94%BA%E7%AB%8B%E5%A4%A7%E6%B7%80%E7%97%85%E9%99%A2%E4%BA%8B%E4%BB%B6
※3Martin, S. J., S. Bassi, and R. Dunbar-Rees, 2012. Commitments, norms and custard creams̶A social influence approach to reducing did not attends (DNAs). Journal of the Royal Society of Medicine 105(3), 101‒104.

■プロフィル
学生時代は企業インターン/研究活動/海外臨床実習を経験、初期研修を経て、世界最高峰の公衆衛生学教育が行われているジョンズホプキンス大学にてMPH(Master of Public Health)を取得。
現在は産業医として働きながら訪問診療医も務める。またブログで行動科学、行動経済学についての発信を行う。
K先生のTwitterはこちら
 


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