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「病院嫌い」は変わったのか
~養老孟司さんの「主治医役」、中川教授に聞く~

 解剖学者の養老孟司さんと東京大学大学院特任教授の中川恵一さんの共著「養老先生、病院へ行く」(エクスナレッジ)が好評だ。自他共に認める「病院嫌い」の養老さんが東大医学部付属病院を受診した背景には、心境の変化があったのだろうか。がんの放射線治療の専門家で養老さんと親交があり、相談を受けてきた中川さんに話を聞いた。

11刷り9万5000部と売れ行き好調な「養老先生、病院へ行く」

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 ◇「ほとんどビョーキ状態」

 「統計データが重視され、患者の『身体の声』を聞くことをしない。現代の医療システムに巻き込まれたくない」。養老さんは本書で、病院を避ける理由をこう書いている。その養老さんが2020年6月、東大病院を受診した。直前に中川さんに宛てたメールを紹介する。

 「昨年から体重が70キログラム台から50キログラム台まで落ちて家内が心配しています。…元気がなくなり、ほとんどビョーキ状態です」

 ◇26年ぶりに東大病院受診

 体重の急激な減少の原因はがんか、あるいは糖尿病か。中川さんは強い不安を感じていた。「がんであれば、私が診る。しかし、本人が自覚しているように糖尿病などであれば、他科の専門家にお任せする」。それでも、中川さんは「主治医役」を務めた。

 養老さんが中川さんの外来を受診した時、中川さんはCT(コンピューター断層撮影)検査とともに心電図と血液検査を依頼した。その結果、心筋梗塞であることが分かり、即入院となった。

 養老さんが東大病院を受診したのは、実に26年ぶりのことだ。受診直前の3日間ほどは体調が悪く、寝てばかりいる状態になっていたという。

自身で超音波検査をする中川恵一さん

自身で超音波検査をする中川恵一さん

 ◇ラッキーだった

 中川さんは「養老先生は強運だ」と話す。ギリギリで最悪の事態を回避できた。実は、中川さん自身も幸運に恵まれた。当直をする時に自身で超音波(エコー)検査をする習慣があり、18年12月、ぼうこうがんを発見した。「私が医者だったこともあるが、ラッキーだった」。厚生労働省「がん検診のあり方に関する検討会」の構成員で、がん対策推進企業アクションのアドバイザリーボード議長である中川さんはがん検診を積極的に勧める。「がんは早期発見できれば、5年生存率が95%くらいまで高まる」という理由からだ。肺がん胃がん大腸がんなどの自治体が実施する住民検診は、自己負担が少なくて済む。

 養老さんは中川さんの勧めで東大病院に再入院し、白内障の手術も受けた。この手術は、濁った水晶体を人工のレンズ(眼内レンズ)に置き換えるというものだ。中川さんは「先生は臓器移植に反対でしたね。でも、眼内レンズは臓器移植と同じようなものですよ」と、本人に向かって言った。さらに、養老さんは「ライフスパン 老いなき世界」という本を一生懸命に読んでいた。老いは病気であり、治療で若返らせることができる。著者の米ハーバード大学大学院教授の結論である。養老さんの考え方に変化はあったのだろうか。

 ◇病院へ来なくなった養老さん

 中川さんは「一時は、変わったのかなと思ったが、だんだんと元の考え方に戻っていった」と語る。入院中に胃がんの主な原因であるピロリ菌の陽性と、将来がんになる可能性がある大腸ポリープが見つかった。しかし、養老さんはピロリ菌の除去と大腸ポリープの切除を選ばなかった。

 「養老先生、病院へ行く」を読むと、愛猫「まる」の死が養老さんにとって人生の大イベントだったことが分かる。慢性心不全で胸水がたまる「まる」を2日に1回、獣医師の下に連れて行った。自身の病気についてはどうか。「本人も退院してしばらくの間は真面目に通院していたが、新型コロナウイルス感染症を言い訳に病院に来なくなった。面倒くさくなったのかなあ」と中川さんは言う。処方箋のお金は払うから、薬を郵送してほしい。そんなリクエストが来た。「担当する科の教授たちが治療に当たっているのだから、そんなことはできない」。そこで、養老さんが住む神奈川県鎌倉市のクリニックで薬を受け取るようにしてもらった。

 養老さんは入院中、「模範的な患者だった」と中川さんは振り返る。気にしていたのは、愛煙家の養老さんがたばこを吸ってしまわないかということだった。喫煙すれば強制的に退院させられてしまう。

 「養老先生が完全に医療システムに組み込まれた時期は少ない。ただ、体の調子が悪くなると、メールで私に伝えてくる。ちゃっかりしている面もあるのかな」

 中川さんによれば、養老さんはたばこも以前のように吸っているのかもしれない。

 中川さんは、東大医学部在籍時代に養老さんの解剖学教室で学んだ。養老さんを敬愛する中川さんは「病院嫌い」に理解を示す一方で、一般の人たちに対しては病院への受診を勧める。「ただの風邪だと思っていたが、せきが止まらない。検査で肺がんが見つかったケースもある。偶然、がんを発見することも少なくない」と中川さんは強調する。

 「養老先生、病院へ行く」は定価1400円。(了)

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