一流に学ぶ 日本女性初の宇宙飛行士―向井千秋氏

(第6回)宇宙飛行士、宝くじのつもりで =病院当直明けに募集記事

 ◇書類選考通り、がぜんやる気

 2、3年、留学するぐらいのつもりで応募書類を送ったところ、533人の応募者のうち1次の書類選考を通過した64人に入った。「こうなったら、もう残るしかない」。向井氏は仕事が終わると、体力をつけるため毎日プールで1時間ほど泳ぎ英会話教室にも通った。家中の物に英語のラベルを貼り英語漬けに。「飾ってある大事な絵の額に『FLAME』って貼ってたら、一緒に住んでいた妹に怒られたけど」

 筆記試験と心理検査の結果で残った34人に入った。ただ向井氏は「筆記は公務員試験みたいに一般常識を問う内容。外務大臣の名前を書けとかいう問題だったんだけど、新聞も読んでなかったから書けなくて。やっぱり私、一般教養ないんだなーって思った」と振り返る。

 次は医学検査で、病院に3日間ほど泊まり込んで500項目の検査を受ける大掛かりなものだった。「ストレスでげっそり痩せたという人もいたけど、私は医者だし、むしろ面白かった。採血一つにしても、痛かったりすると患者さんの気持ちがよく分かった」

 ここまでで12人が残り、回転いす、下半身陰圧負荷、トレッドミルなど、実際に宇宙に行ったときの状況に耐えられるかを調べる検査の結果、最終的に7人が残った。

 「もう絶対に宇宙に行くんだと思って、実験で余った子犬を引き取った時、チャレンジャーとコロンビアって名付けたりしていました」

 最終選考は米航空宇宙局(NASA)のジョンソン宇宙センターで実施。1年8カ月かかったすべての選考を経て、1985年8月10日、NASDA(現JAXA)から第1次材料実験の搭乗科学技術者(ペイロードスペシャリスト)として毛利衛、土井隆雄両氏とともに選ばれた。この時、33歳。スペースシャトル搭乗に向けた本格的な訓練が始まった。(ジャーナリスト・中山あゆみ)

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