「医」の最前線 感染症・流行通信~歴史地理で読み解く最近の感染症事情~

米国と世界の感染症対策に要注目
~トランプ政権は60年前の失敗を繰り返すのか~ 東京医科大客員教授・濱田篤郎【第14回】

 2025年1月20日、米国の第47代大統領にドナルド・トランプ氏が就任しました。彼は就任式直後から数多くの大統領令を発しており、その一つに世界保健機関(WHO)からの脱退があります。さらに厚生長官にはワクチン懐疑派とされるロバート・ケネディ・ジュニア氏を指名したことから、米国だけでなく世界の感染症対策への影響を懸念する声が高まっています。今回は、第2次トランプ政権誕生による、米国と世界の感染症対策への影響について考えてみます。

米国議会議事堂で大統領就任宣誓をした後、演説を終えるトランプ米大統領(中央)=1月20日(EPA=時事)

米国議会議事堂で大統領就任宣誓をした後、演説を終えるトランプ米大統領(中央)=1月20日(EPA=時事)

 ◇対策を感染症から慢性疾患に転換

 トランプ大統領は就任後、直ちにWHOの脱退手続きに入りました。WHOはさまざまな健康問題への対策を実施する国連の機関ですが、とりわけ感染症分野に大きな力を注いでおり、米国が脱退すれば世界の感染症対策は停滞する可能性が高くなります。

 米国が脱退手続きに入ったのは、分担金を値切るためとか、中国と関係の深いテドロス事務局長への不信感が強いためなどと言われていますが、大きな理由の一つは、米国の健康対策の主たる対象を、感染症から生活習慣病などの慢性疾患に転換することにあると思います。これは、トランプ大統領がケネディ氏を厚生長官に指名する時に出した次の声明からも分かります。

 「ケネディ氏は慢性疾患がはびこる状況を終わらせて、アメリカを再び偉大で健康な国にするだろう」

 慢性疾患への対応はもちろん大切ですが、この発言の裏には、感染症を軽視する大統領の意図もあるように思えるのです。

 ◇60年前の失敗

 この声明を聞いて、1967年に全米公衆衛生担当者会議で当時のスチュアート公衆衛生局長官が基調講演で述べた、次の言葉を思い出しました。

 「感染症はもはや恐れる病気ではなくなった。国家予算をがんや心臓病などに移すべきである」

 20世紀に入ると微生物学や感染症学が大きく進歩し、抗菌薬やワクチンが次々に開発され、感染症の脅威は軽減されていきました。それを称賛する基調講演でしたが、この会議の後、米国では感染症への予算が大幅に削減されるとともに、医学界や産業界での感染症への興味は大きく薄れていきました。

 その一方で、1970年代以降、エボラ出血熱やエイズなど新しい感染症が発生したり、抗菌薬に耐性の細菌が増えたりするなど、感染症の動きが再び活発になります。そして、この動きがCOVID-19(新型コロナウイルス感染症)の世界流行につながるのです。この流行で多大な健康被害が生じた原因の一つには、70年以降、世界中に広がった「感染症は過去の病気」という油断があったのです。

 こうした60年前の失敗が、今回のトランプ政権の方針転換により繰り返されるのではないかと、私は懸念しています。

 ◇世界の感染症対策への影響も

 COVID-19の流行に当たり、世界の国々は都市封鎖や国際交通を止めるなど強い感染対策を取ることで、初期(ワクチン接種前)の拡大を抑えました。これは各国の経済を低迷させる結果になり、それに耐えきれずに中途半端な状態で対策を緩和したため、より大きな健康被害を招いた国もありました。この典型的な例が、第1次トランプ政権末期の米国でした。

 本来ならば、あの時の教訓から、次の感染症流行による人的ならびに経済的な被害を抑えるため、感染症関係の予算を増やすべきだと思います。それをせずに、慢性疾患の対策に転換しても、健康な国は生まれないでしょう。さらには、米国のWHO脱退が現実になってしまうと、世界の感染症対策にも影響を及ぼすことになるのです。

 米国は20世紀に入ってから、世界の健康面に貢献することで偉大な国家への道を歩んできました。例えば、ロックフェラー研究所の職員だった野口英世が、アフリカや南米で黄熱の研究に奔走したのも、こうした米国の政策の一環でした。この政策の真意は世界に覇権を確立するためだったと思いますが、多くの国々が米国の偉大さを認識することになりました。このような健康面への国際的な貢献を、トランプ政権は放棄しようとしているのです。

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