こちら診察室 介護の「今」
多問題家族 第55回
◇小悪魔
娘は、就職もせず、ぶらぶらと毎日を過ごしている。長い付けまつげにじゃらじゃらのピアス。濃い化粧。それでいて吉田さんが訪問すると、ちょこんと母親の隣に座って話を聞いたりもするのだった。
「どう調子は?」
「まあね」
吉田さんは、娘との会話の糸口をどこに見つけるかを思案した。「小悪魔」と呼ぶにふさわしい今までの所業。しかし、顔にはまだあどけなさが残っていた。「この家族支援の鍵は、この娘だな」と思った。
◇協力者を探して
吉田さんは、娘への支援の協力者を探すべく、児童相談所に問い合わせた。ところが返ってきたのは、「犯罪歴もありそうなので、警察の管轄ではないでしょうか、うちではちょっと対応が…」という責任逃れの返事だった。
「18歳未満の支援は、児童相談所の責任だろう」と呪いの思いを抱きながら、警察に回ってみた。これまでにも、警察が参加する支援ネットワークをつくったことがある。もっとも、要援助者が被害者だったり、被害者となる恐れがあったりする場合だったが、「何かの糸口をつかめるかもしれない」と吉田さんは思った。
◇かすかな糸口
警察では、娘は有名人だった。
「へえ、中学、卒業できたの。仲間が悪かったから心配してたんだよ。でも、最近はおとなしくしているようだね。もし何かやったら、うんと説教してやるから」
事が起こらないと動かない(動けない)のは、いずこの警察も同じである。「糸口はなしか」と思った時、警察官が続けた。
「でも、あの子好きだなあ。小さいのに責任感があってね。それに、潔いわけよ。自分の非を認めたときは、スパッと謝るんだ」
◇地道な支援
とはいえ、事態が急展開するわけではない。2カ月ごとにやってくる非常食の差し入れを続けながら、吉田さんは地道な支援を積み上げていった。
父親の身障手帳の取得、介護保険の要介護認定、自立支援医療(障害者手帳を持っている人が必要とする医療を公費で支援する仕組み)の透析治療への適用、母親の療育手帳の申請相談などを進めつつ、自宅への訪問を繰り返したのだ。
一方、娘への支援は難航した。娘が変わらなければ、この家族はトンネルの暗闇から抜け出すことはできない。しかし、人は「変わる」ことができても、人を「変える」ことはできない。周囲の人間にできることは、「変わる」ことへのきっかけを手の届くところに置いてくるだけかもしれない。
◇急展開
ある晩のことだった。父親が苦しみだした。母親はオロオロするばかり、娘が主治医のいる病院に電話した。病院では主治医に連絡をとり、「いつもの症状だから問題ない。心配だったら明日受診に来るように」との言葉を伝えた。娘は納得せず、「先生と直接話したい」と求めたが、聞き入れられなかった。父親の容態は改善しない。娘は自分の判断で救急車を呼び、かかりつけの病院をあえて告げずに、大きな病院を搬送先に要求した。
娘の判断は大正解だった。父親は黄疸(おうだん)が出始めていた。「119番がもう少し遅かったら手遅れだった」と医師は告げた。
急を聞いて駆け付けた吉田さんは、救急処置室の前の廊下の長椅子にぽつんと座る娘の横に腰を下ろし、「大変だったね」と娘の労をねぎらった。
◇落涙
緊張の糸が緩んだのだろう、娘は涙を見せた。マスカラが黒く流れ落ちた。父親の処置は長引いた。待ち時間、吉田さんは娘にさまざまなことを語った。
娘を思う父親の気持ち、母親が寄せる娘への愛情、娘の将来を心配する吉田さん自身の率直な思い。娘は、その一言ひと言をかみしめるように聞いていた。吉田さんの目も潤んでいた。(了)
佐賀由彦(さが・よしひこ)
1954年大分県別府市生まれ。早稲田大学社会科学部卒業。フリーライター・映像クリエーター。主に、医療・介護専門誌や単行本の編集・執筆、研修用映像の脚本・演出・プロデュースを行ってきた。全国の医療・介護の現場を回り、インタビューを重ねながら、当事者たちの喜びや苦悩を含めた医療や介護の生々しい現状とあるべき姿を文章や映像でつづり続けている。中でも自宅で暮らす要介護高齢者と、それを支える人たちのインタビューは1000人を超える。
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(2025/05/27 05:00)
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