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自己追求型努力は報われる
~羽生結弦選手に見る「適応的完全主義」という概念~

 北京冬季五輪でフィギュアスケート男子シングルの3連覇を期待されていた羽生結弦選手が、4位に終わった。一部には、「メダルを取ってほしかった」「4回転アクセル(4回転半ジャンプ)を跳ばないで手堅くいけば銅メダルを取れたのに」という声もあったが、多くの人たちがその挑戦の姿勢に共感したと報道されている。

 試合直後、松岡修造さんのインタビューを受けて羽生選手が思わず漏らした、「努力は報われないんですね」という一言から、14日の記者会見で「満足した4回転半だった」という言葉に変化する4日間のプロセスに注目したい。

(文 海原純子)


フィギュアスケート男子シングルのフリーで挑んだ4回転アクセル(15枚の写真を合成)=2022年2月10日、中国・北京(時事)

フィギュアスケート男子シングルのフリーで挑んだ4回転アクセル(15枚の写真を合成)=2022年2月10日、中国・北京(時事)

 ◇羽生選手の「完全主義」

 私はスケート競技に詳しくはないが、羽生選手は完全主義者だと言われている。完璧に技術を習得できるまで練習を繰り返し、絶対に失敗しないという確信を得てから試合に臨み、イメージ通りの演技を行い、勝利を手にするという戦略に基づく競技生活。高い目標を目指し努力し、結果を手にしてきたこれまでの足跡を見ればそれが分かる。

 完全主義は、一般的にストレスフルだという見方がある。完璧を目指して頑張り努力して成功すればいいが、結果が出ない場合、気持ちが落ち込むというのがその理由で、中には「完全主義は良くない」という意見もある。これまで必ず結果を手にしてきた羽生選手にとり、今回の4位はどんな意味を持つのだろう。

フィギュアスケート男子シングルのフリーで演技する羽生結弦選手=2022年2月10日、中国・北京(時事)

フィギュアスケート男子シングルのフリーで演技する羽生結弦選手=2022年2月10日、中国・北京(時事)

 ◇プロセスを大事にする「適応的完全主義」

 完璧を目指して努力して結果が出なければ、「報われない」という気持ちになるものだ。では、完璧を目指すのは良くないのだろうか、というとそれは違う。なぜなら、完全主義には「適応的完全主義」と「不適応的完全主義」があるとされているからだ。

 一つのミスでも、「すべてが終わり」「意味がない」「努力は無駄だった」と考えれば気持ちが落ち込んでしまう。こうした完全主義は、失敗やミスによって周囲からの評価を失ったと感じて落ち込むことで、不適応的完全主義とされている。

 これに対し、高い目標を目指し、自分の可能性を追求するが、結果としてミスをして完璧にはできなくても、その努力のプロセスを納得できる場合は、適応的完全主義とされている。こうした自己を追及する適応的完全主義は、他者からの評価ではなく、自分自身の成長のために、自分が納得できる高い水準を目指して全力で取り組み努力する、そのプロセスを大事にするというものだ。まさに今回の羽生選手の演技そのものと言える。

試合の4日後の会見では金メダルのネーサン・チェン選手(米国)を称えた後、「満足した4回転半だった」と語った=2022年2月14日、中国・北京(EPA時事)

試合の4日後の会見では金メダルのネーサン・チェン選手(米国)を称えた後、「満足した4回転半だった」と語った=2022年2月14日、中国・北京(EPA時事)

 ◇心を守る「自己追求型の努力」

 今回の羽生選手の4回転アクセルへの挑戦が多くの人の共感を得たのは、その挑戦する姿勢と、結果はともあれ自分の最高を目指してリスクを恐れない勇気に対するものであり、その背景に羽生選手の自己追求的な適応的完全主義があるのだと思う。

 「結局4位だったんじゃないか」という声があるだろう。金メダルが取れないことで心ない言葉を受けるリスクもあるかもしれない。そうしたリスクを知りながら、なお、あえて挑戦する姿を見せてくれた羽生選手に共通する思いを感じた人は多いのだと思う。

 今、努力して頑張っても結果が手に入れられず周りから評価されないことで、「報われない」と感じて落ち込む人は多い。「努力しても無駄だ」と思いがちで、それが心をうつに追い込んでしまう。しかし、他者からの評価とは別の視点で、人からの評価を求めるのではなく、「自分の成長に必要だから自分の目標を目指す」という自己追求型の努力をしていくと、自分自身の努力に納得ができて、これがストレスから自分の心を守ることになる。

 結果やメダルとは別に、自分の可能性を追求する形の適応的完全主義を見せてくれた羽生選手の競技だったと言える。(了)

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