特集

女性医師をめぐる葛藤
~エッセー「西の街から」~ 崎長ライト(医師 作家)

 医師の世界は、まだまだ男社会。現場の女性医師を細やかにサポートする組織、長崎大学病院メディカル・ワークライフバランスセンター(以下、センター)の南貴子先生に話を聞いた。

第3子誕生、夫が単身赴任

 ──南先生の簡単な略歴を教えてください。

 南氏 長崎市出身、長崎大学医学部卒業、循環器内科を専攻し、長崎大学病院等で研修、医師2年目に結婚しました。医師4年目、7年目に出産、パートタイム勤務の時期や、夫の留学に同伴して渡米した時期もあります。帰国後は、関連病院に勤務しながら循環器専門医取得や研究を行い、14年目に第3子出産、再びパートタイム勤務を経て、18年目から長崎大学病院に勤務し学位取得。22年目からセンター所属で、循環器内科の仕事と併せて医師の両立支援を行っています。

 ──第1子出産当時のことを教えてください。

 南氏 産休と育休は7カ月取りました。

 ──当時は、他の公的な支援はなかった?

 南氏 私は県北、いわゆる地方に住んでいましたが、支援はありませんでした。子どもが熱を出すと、実家のお手伝いさんが保育園に迎えに行き、家で面倒を見てもらいました。子どもが1歳になってから当直は月1回、金曜日にしていました。

 ──大変でしたね。

 南氏 いえ。私にとって当直は、ある意味仕事に集中できて楽でしたが、夫が大変みたいでした。夜中に子どもが泣いて寝付かず、夫がどうしようもなくなって病院まで連れて来たりして(笑)。

 ──はあ? それは、ご主人大変でしたね(笑)。

 南氏 夫が病院でうろうろする姿を見て病院側がふびんに思ってか、若い先生が当直を代わってくれて、私は実質、当直免除になりました。

 ──それは、すごいエピソード(笑)。

 南氏 子どもが2人になって忙しくなりましたね。それで、パート勤め(主に午前中)で2年。

 ──仕事を辞めようとは?

 南氏 全然。働く母(医師)の下で育ったせいか、働かない選択肢はなかったですね。患者さんの診療が好きで、家事支援サービスは頼みましたが、シッターはほとんど頼みませんでした。若くて体力もあったし、パートだったからでしょうね。

第2子誕生、夫は子育て参加

 ──ご主人のご職業は?

 南氏 外科医です。家事や育児を積極的にする方だと思います。ただ、彼がとても忙しい時期と、2人の子どもの小さい時が重なり、私が行き詰まって「どうして働きたいのに働けないんだ」と、もやもやふつふつとしていました。院内保育園が整備されれば働けるのにと思って全国の状況を勝手に調査して、学会発表までしました。

 ──今の仕事につながっている(笑)。

 南氏 そうですね。調べて、やっぱり研究レベルの高い大学は保育園も整備されているんだなと、勝手に思ったりしていました。

 ──なるほど。南先生の根底には、自分の経験があるんですね。ご自身のお母様の影響?

 南氏 それは否定しません。母は昭和前半生まれで、子育てはほとんど他人任せ。仕事一筋という感じで、反面教師にしているところもあります。

 ──例えば?

 南氏 やはり学校の行事には私が行こうと思い、子どもの話をきちんと聞こう、学校もしっかり選ぼうと思って実行しました。

 ──女性医師でも世代で異なるようですね。

 南氏 はい。今の人たちもずいぶん違います。

 ──米国に住んだ時は?

 南氏 夫の留学について行きました。私は働きませんでしたが、保育園や小学校に男の人が迎えに来ている光景にびっくりしました。

 ──僕も同じ体験があります。「この人たちは失業しているのか?」と思いました(笑)。

 南氏 向こうは男女平等の意識が高いし、家庭生活を大事にしています。夫の同僚は、手術中に妻から「私の誕生日に何で帰ってこないの!」と電話がかかってきたとか(笑)。

 ──あるあるですね。日本では考えられない。

 南氏 そういう環境にいたので、夫も影響を受けたようです。

 ──それはよかった(笑)。帰国して子ども3人になってからは大変だったのでは?

 南氏 3人目の時は、保育サポートを使い始めました。1人目から3人目まで10年あり、子育て環境もだいぶ変わっていました。市のファミリーサポート、民間の保育サポート団体等ができていましたね。

 ──じゃあ、順調な子育て?

 南氏 いえいえ。バタバタですよ。夫が単身赴任になったので、0歳、8歳、10歳の子どもを抱えて3年間、週5日の半日パートで仕事をつなぎました。つらかったですね。

 ──尊敬します。僕なら辞めているかも。

 南氏 実際には、働く場もあって、医療現場は人手不足ですから役に立っている実感はありましたし、逆に仕事がなかったらもっとつらかったかもしれませんね。

南先生の略歴

 ──仕事が好きなんですね。

 南氏 ええ。患者さんの診療は好きですよ(笑)。

 ──医者の鏡ですよ!

 南氏 そんなー(笑)。普通にできることをやってきた感じですね。上司に恵まれたと思います。

 ──専門医や学位(博士号)も取っていますが。

 南氏 それも、上司から「きちんと取っていた方が、のちのち役立つから」と言われて。

 ──取得するのは大変だったでしょう。

 南氏 そうですね。循環器専門医は、3人目の出産前にようやく取れました。人より10年くらい遅れた感はありますが、うれしかったですね。サブスぺシャリティの超音波専門医は、子どもの大学受験に刺激されて「私も勉強しようか」と思って。

 ──子育ても、いい意味で先生のキャリアに影響しているのでしょうね。

 南氏 うーん。どうか分かりませんが、結果的にそうなっている感じもしますね。

 ──保育園の保護者会会長も務めたとか?

 南氏 はい。初めて責任のある仕事をして、いろいろ勉強にはなりましたね。働くお母さんたちとのつながりができたのが一番よかったです。さまざまな意見が聞けましたし。

 ──医師となって20年目が過ぎ、40代半ばに一番下のお子さんが保育園を修了。上のお子さん2人が大学生となり、その頃に大学病院のセンターの担当となりました。

 南氏 はい、そうです。センター長だった伊東昌子先生の推薦でこの仕事を始めました。

 ──それでは、次回は女性医師のためさまざまなサポートをするセンターについて、具体的な仕事内容などを聞いていきます。(時事通信社「厚生福祉」2022年05月17日号より転載)

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