現代社会にメス~外科医が識者に問う
「医師の働き方改革」スタート
~医療の質落とさず効率化できるか~ ワーク・ライフバランス 小室淑恵さんに聞く(上)
質問役の河野恵美子医師
◇若手の熱意が現場動かす
河野 実際に病院の現場に入ってみて、初期の頃の反応はどうでしたか。
小室 2018年当初は病院の経営サイドが改革をやろうと決めても、実際に取り組みをする医局がなかなか決まりませんでした。そしてやっと決まった医局でも、その医局の医師たちにはまったく受け入れてもらえず、ある病院のベテラン医師からは「この働き方改革の会議の時間分が残業になる」「改革したことで患者が診られなくなって患者が死んだら責任を取れるのか」と反発を浴び、その議論で数カ月経過することもありました。
今でも忘れない、大きな出来事がありました。ある20代の医師が「時間をもらってプレゼンをしたい」とおっしゃいました。そしてベテラン医師たちの前で「僕たちの世代は今、本当にこの病院の働き方を変えたい。ただ反論するのではなく、何か一つでも取り組みを進めたい。それがむしろ患者さんに対する医療の質を上げることにつながると思っている」とスライドを使って訴えたのです。
河野 20代といえば専攻医ですよね。医師の世界は縦社会なので、専攻医が指導医に意見するのは相当な覚悟だったと思います。
カエル会議の様子(3回のカエル会議のコンサルを受けた徳島大学病院形成外科、脳神経外科の提供写真)
小室 私も本当に驚きました。さらにもう一つ驚いたのは、そのプレゼンを見たベテラン医師が「そうか、若手はこの取り組みに前向きだったのか。私は他の医師も皆自分と同じ考えだと思っていたので反発していたのだが、若手がそう思っていたのであれば協力する」と態度を一変させたのです。ご自身は従来の働き方がスタンダードだと思っていただけで、体を壊してまで働いてほしかったわけではありませんでした。「若手のために一肌脱ぎたい」と、私たちの手法である「カエル会議」を一緒にやってみようということになりました。
◇過去の長時間労働否定せず変化説く
河野 それはすごい! 24時間365日働くのが医師だと教えられ、患者の診療に人生の全てをささげてきた世代の方たちが自身の考えを変えるのは容易ではありません。ある教授から「若い人たちの価値観が変わってきていて、ワーク・ライフ・バランスを重視しているのは理解できるが、それを受け入れることは自分が今までやってきたことを否定されているような気がして、苦痛を伴う」と言われたことがあります。
日本の従属人口指数の推移
小室 これは民間企業の経営層を説得するときも同じで、教授陣の皆さんが意識改革する重要なポイントは、自分たちがやってきたことは間違っていたのだろうかと考えてしまうところをどうクリアにできるかです。
私たちは必ず最初に「人口ボーナス期」と「人口オーナス期」を迎えた国の戦い方の違いを説明します。ボーナス期は人口が多く、いわゆる若い労働力が余っている状態です。日本の場合、1960年代から1990年代がそれに当たります。さまざまなことが機械化されていないため、体力勝負の仕事が多く、均一な作業を同じようにできる人が重宝されます。労働者の替えが利くので、働かせて駄目だったら、どんどん人材を供給しては使い捨てていく時代です。ボーナス期においては男性が長時間労働をし、軍隊のような組織をつくることがその時代を繁栄させるために不可欠な要素でした。
人口ボーナス期はどの国にも一度しか来ないということが人口学上はっきり分かっています。その国の経済にボーナスをくれる、たった一度のおいしい時期であり、その時期に長時間労働で戦うというのは決して間違っていませんでした。このボーナス期を日本は他国に例を見ないぐらい上手に使いました。同じ人口ボーナス期に中国が稼いだ額の約3倍を稼いだと言われています。その時代に頑張ってくれた人たちにはやり切ってくれたことへのリスペクトしかなく、決してその当時の働き方を否定するものではないことを前提としてきちんとお話ししてから次に進むことが重要です。
ボーナス期が終わり、オーナス期に移ると勝てる戦略が変わります。オーナス期は若者の比率が少なく高齢者が多いため、ボーナス期とは真逆の戦略が必要です。老若男女すべてを使って、育児や介護と両立しながら短時間で仕事を効率的に終え、さらなるイノベーションを起こしていくためには、多様な人材を起用して新しいことにチャレンジしていかなければいけません。ボーナス期のやり方に固執しタイミングを逃してしまうと、経済は一気に落ち込んでしまいます。勇気を持って過去の成功体験と決別し、新しいやり方に飛び移れるかどうかが鍵となります。変わらないものは生き残れない、進化しなければ生存できないということをしっかり伝えます。
経営者の皆さんは、この認識をしっかり共有すると「これまでの自分たちの頑張りは間違っていなかった」と確認でき、これからはどう変わるのかということに対して聞く耳を持ちます。誰も間違っていない、誰も悪者ではないけれど、今変わらないと本当に間に合わなくなるということへの合意形成が重要なのです。他国においては政治家が人口構造を見せながら、「今は戦略を変える時であり、徹底的に働き方を変え、子育て支援に国内総生産(GDP)の約4%はつぎ込まないと国の経済が上向きにならない」と国民に語り掛けています。日本の政治家はそういう役目を果たしていないため、国民は自国の状態に気付かないまま今日まで来てしまったのです。
(2024/04/01 05:00)