一流に学ぶ 「女性外来」の先駆者―対馬ルリ子氏
(第3回)
女性の自立を目指して
バンドなど課外活動にも熱
◇性教育のシンポジウム企画
笑顔の対馬ルリ子氏
東京での浪人時代、創刊された雑誌「MORE」「COSMOPOLITAN」に始まり、ボーボワール「第二の性」、ブルワット・グルー「最後の植民地」、エリカ・ジョング「飛ぶのが怖い」などの著作を読みあさり、女とは何か、女は男より劣った存在なのか―という命題に向き合った。
「興味があったのは性による差別の問題。弘前では、周りはそういうことも知らないし考えたこともない人が多かったので、完全に浮いてましたね」
インターネットがない時代、性について正しい知識を得る手段はほとんどなかった。1980年代に入り、女性の身体の仕組みやセックス、避妊などについて図解とともに詳しく書かれた翻訳本が出版されると、翻訳者の医師を尋ねて会いに行ったり、その人たちの講義を聴講したりした。
医学部の学園祭では、『私たちの性について語り合おう』というシンポジウムを企画。産婦人科の教授を招いて講演をしてもらい、中絶や避妊についてのアンケート用紙を大学の全学部、近隣の短大や女子大にも配って集計し、その結果をもとにディスカッションをした。
「1回のセックスで妊娠した女子大生がいて、みんなでボウリングした翌日にいきなり赤ちゃんを産んだという話がありました。何回も妊娠し、彼に子どもはいらないと拒絶されて中絶する人もいっぱいいました」。活動を通じて女性の自立とは何か考えた対馬氏。「妊娠は絶対に、経済的にも生活力も身に付け、自分で決められる状況になってから」との思いを強くしたという。(ジャーナリスト・中山あゆみ)
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(2018/02/08 10:00)