一流に学ぶ 減量手術のパイオニア―笠間和典医師
(第2回)
空手にハマった医学部時代
南米の旅で道場巡り
◇マラリア研究の大家に脱帽
空手部主将としての最後の夏の大会を終えて間もなく、笠間氏はバックパックに空手着を結び付けて南米に出発した。成田空港からロサンゼルス経由でブラジルのサンパウロへ。アマゾン川流域の都市で先輩たちと合流し、最終目的地である日本人移民の町トメアスに向かった。そこがマラリア研究の拠点となったのだが、手伝いの内容を聞いて笠間氏は絶句した。
「マラリアの大家である鈴木守先生(元群馬大学長)が、マラリアを媒介する蚊を採取するのを手伝ってほしいというので、どうするのかと思ったら、『僕が裸になってジャングルの中を歩くから、蚊が止まったら無傷で捕まえてほしい』って言うんですよ」
生きたまま採取するために仕掛けを工夫した「蚊取り器」を渡され、もう一人の学生と共に、上半身裸の鈴木氏の後ろを付いて歩いた。「もちろん予防薬は飲んでいたんでしょうけど、感染する可能性がゼロではないわけですよ。この人はマラリアの研究に命を懸けている、こうでないと世界のトップレベルにはなれないんだ、と圧倒されました。正直、自分はこの分野では無理だと思いました」
予定通りの仕事を終えると、空手道場のつながりをつてに単身、アルゼンチン、ウルグアイ、ブラジルとバックパッカーの旅を続けた。
「空手道場に行って練習して、そのまま泊めてもらって、次の町の知り合いを紹介してもらって、という感じで2カ月くらい回りました。治安の悪い所でしたけど、僕は見るからに貧乏そうだったし、空手をやっていたので大して危険な目には遭わずに済みました
この南米への旅は後に、笠間氏の医師人生を方向付けることになる。(ジャーナリスト・中山あゆみ)
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(2018/04/26 11:21)