一流に学ぶ 日本女性初の宇宙飛行士―向井千秋氏

(第2回)弟の病気、きっかけに医師志す =目標に向かって一直線

 ◇中学で単身上京

 父親は浅草から疎開してきたため、都内に知り合いもいた。つてを頼って下宿先を見つけ、中学3年の3学期から、都内の中学に転校することになった。

 「もともと転校して、皆の前であいさつしてみたいという気持ちもあったのね。転校先の中学のセーラー服に憧れたというのもあったし。今までと違う世界のところに行ってみたいという気持ちが強かったんだと思う」

 日比谷高校には合格したものの、学生運動の盛んな時期で、授業はほとんど行われていなかった。そこで、念のため受けて合格していた慶応女子高校に入学することにした。私立高校から私大医学部へ行くとなれば、経済的な負担も大きい。しかし、両親は喜んで応援してくれた。

 「うちは決してお金のある家じゃないから、高価な服とかぜいたく品は買ってあげられない。だけど、もし何か勉強したいとか資格を取りたいとかあれば、お父ちゃまとお母ちゃまが、一生懸命働いて学費は頑張って出すからって。父と母には本当に感謝しています」

 慶応女子高に入学後、医学部への内部進学は狭き門だと知った。1クラスから1人、学年で3人しか枠がない。しかも、推薦の条件はすべての教科の総合点だった。向井氏は理系科目は得意だったが、歴史や漢文が足を引っ張った。

 「体育は得意だったんだけど、リトミックという独特の運動があって、幼稚舎から上がってきた人はずっとやってきたからできたけど、田舎から来た子たちは知らないから、できなくて」

 高校2年で内部進学から外部受験に切り替え、予備校にも通って受験勉強に本腰を入れた結果、見事、現役で合格する。(ジャーナリスト・中山あゆみ)

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