一流に学ぶ 角膜治療の第一人者―坪田一男氏

(第5回)血清点眼でドライアイ治療=世界初のモデルマウス誕生

 留学中にドライアイが発覚し帰国してから3年後の1990年1月、坪田氏は治療の質の向上と普及を目指す「ドライアイ研究会」を発足させた。

「僕がドライアイの研究を始めた当初は、『ただの乾き目』などと言われましたが、慢性的な目の疲れ不調のほか、今では視力低下の原因にもなることが分かってきました。当時は日本に診断基準もなく、どのくらい患者がいるかも分からなかった。でも、ドライアイを確実に診断し、的確に治療できるような体制をつくる必要があると思ったのです」

パソコンとインターネットの普及に伴い、モニター画面を見続ける時間が急激に増えたことも、ドライアイの患者増に拍車を掛けた。ドライアイの患者数は1990年当時、米国の患者数をもとに800万人と推計されていたが、坪田氏が日本初のドライアイ外来を開設し、診療に取り組むようになると、実際はこの何倍も多いことも分かってきた。

◇患者の出血きっかけに

2年後のある日、ひょんなことからドライアイの治療法として今も行われている血清点眼に結び付く発見があった。

シェーグレン症候群という重度のドライアイとなる自己免疫疾患の患者の涙腺組織をほんの少し採取して調べる検査を後輩の医師が行った際、患者の出血が止まらなくなるという合併症が起きてしまった。

「僕はそのとき講演で横浜にいて、ちょうど夕食に招待され、今まさにフグを食べようというときにポケットベルが鳴ったんです」

すぐに病院に戻り、ようやく出血が止まったのは午前0時を過ぎていた。訴訟にでもなったらどうしようか。不安に思いながら、翌朝、患者の病室を訪ねると、『おかげさまで目が治りました』と笑顔で話すではないか。

「涙が出ない重度のドライアイで目が痛くて開けていられなかったのが、すっかり良くなっていました。角膜を診察してびっくり。何と角膜障害は消失していました。この患者さんは出血したために、血液中の上皮成長因子やビタミンAなどが角膜上皮細胞に供給され、ドライアイが改善したのです」

これをヒントに、患者自身の血清を点眼する血清点眼が重度のドライアイの治療法の一つとして確立することになる。

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