こちら診察室 介護の「今」

戻された時計の針 第10回

 「自立」とは、「他の援助を受けずに自分の力で身を立てること」の意味であるが、福祉分野では、人権意識の高まりやノーマライゼーションの思想の普及を背景として、「自己決定に基づいて主体的な生活を営むこと」「障害を持っていてもその能力を活用して社会活動に参加すること」の意味としても用いられている―。

 これは、厚生労働省がHPで示している自立の概念だ。

ノンステップバスは車椅子利用者の世界を広げる

ノンステップバスは車椅子利用者の世界を広げる

 ◇社会の方が変わる

 ノーマライゼーションとは、障害や病気があってもなくても、年老いていても幼くても、すべての人が同じように生活できる社会を目指す考え方だ。1950年代後半にデンマークで提唱され、世界中に広まっていった。この考え方の特徴は、障害者などいわゆる社会的弱者に変化を求めるのではなく、社会のあり方に変容を求める点にある。

 「自立」という観点から言えば、例えば障害者本人に障害の克服に努力を求め、本人の力だけで物事を行えるようになってもらうのではなく、本人が望む生活を可能にする援助を本人自身が選び取れるようになることである。そして「自立支援」とは、本人が自分の判断と決定で、自分の望む生活を営むことができるように支援していくことである。

 ◇ボタン掛けと自立

 かつて、地域で一人暮らしをする脳性まひのAさんを取材していた時に、Aさんはこう語った。

 「洋服を着るときに、自分一人ならボタンを掛けるのに30分かかります。でも、誰からも世話を受けず、自分でボタンを掛けることが自立なのでしょうか。私は、そうは思いません。誰かに手伝ってもらえば、1分でボタン掛けができる。すると、残り29分は自分で好きなことができる時間になる。自分で使える時間を自分で決めることができる。それが自立なのだと、私は思っています」

 ◇一人で服を着られる喜び

 一方で、同じ脳性まひのBさんの自立についての考え方は少し違う。取材したのは、Bさんが20年にわたる施設での生活を経た後に、地域で一人暮らしを始めて1年たった頃だった。

 「誰かにしてもらうばっかりでは、自分のことができなくなっていくと思いますから、できるだけ自分のできる範囲は自分で、時間がかかってもやるほかないと僕は思う」

 そして、こう続けた。

 「できなくなったときには、また、ヘルパーさんに手伝ってもらえばいいと僕は思います」

 ◇暮らし方を選べる自由

 AさんとBさんでは、自立についての考え方は異なる。共通しているのは、暮らし方を自分で選べるという自由だ。

 だから2人は自分が好きな時に外出する。Aさんは電動車椅子に乗っている。住んでいるのは東京都下の私鉄沿線。例えば、都内の博物館に行くときには私鉄とJRを乗り継ぐ。どちらもアポイントなしに行く。Aさんを取材したのは、エレベーターを設置している駅が少ない時代だった。エレベーターがない駅では、鉄道職員が4人がかりで階段昇降を手伝った。

 そんな自由をAさんは自立生活運動で手に入れてきた。自立生活運動とは、「自立とは自己決定である」という考え方の下に、障害者が自立的な生活を送るために必要な法制度や社会の意識変革を求める運動である。

 ◇自由選択の保証

 時代は下るが、地方都市に住むBさんの外出時の交通手段は路線バスである。Bさんは自走式の車椅子に乗っている。ところが、車椅子の利用者は路線バスに乗ることができなかった。そこでBさんは、今では徐々に普及しつつあったノンステップバスの導入をバス会社や行政に働き掛け、1本、また1本と路線に走らせることに成功した。Bさんは言う。

 「(一人暮らしで)誰もいないから寂しいのも、まだ自分にはありますが、好きな時にご飯を食べて、お風呂に入って、好きな時にノンステップバスで出掛けることも、世界が広がっていく感じがします」

 暮らし方を自由に選択できれば、世界が広がる。それが「自立」であり、その自由選択を保証することが「自立支援」なのだろう。

 ◇自立支援のための法整備

 国もノーマライゼーションや「自立」の考え方にのっとり、社会的に弱い位置に置かれてきた人たちの「自立支援」のための法整備を進めてきた。その代表格が、措置制度から利用契約制度への転換だ。

 措置制度とは、介護サービスの利用の可否を行政が決定する行政処分の一つの形態だ。一方、契約制度では、介護サービス利用の決定権は利用者側にある。基本的に利用枠の限度内なら、利用者が自由にサービスを選ぶことができる。

 介護を必要とする高齢者向けサービスも、障害者向けサービスも、従来は行政処分により決定されていた。しかし現在では、契約により決定できることになっている。法律で言えば、65歳以上の高齢者(一部40歳以上)には介護保険法が、65歳未満の障害者には障害者総合支援法が契約制度の根拠法となっている。

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