こちら診察室 介護の「今」
歴史の生き証人 第23回
◇看護婦なって農村めぐり
それから何年かの後、女性は看護婦になった。そしてさらに数年の後、女性は医師に同行して農村を巡ることになった。
東京オリンピック前年の昭和38年、老人福祉法が制定された頃だった。同法では具体的施策として、特別養護老人ホームや軽費老人ホームなどの高齢者施設の設置や健康検診の実施が盛り込まれた。市は、農村地区の老人の健康検診を行うべく、巡回指導を計画。女性の勤務していた内科医院の院長がその担当医となったのだ。
◇悲惨な光景
巡回指導で見たのは、身の毛もよだつような光景だった。
それは、臭気に包まれ、日の当たらない北向きの部屋に横たわる枯れ木のような老人の姿だった。体はガチガチに拘縮し、背中には褥瘡(じょくそう)が大きな穴を開けていた。穴に脱脂綿を当てて押すと、ずぶずぶと液が流れ出す。ガーゼを穴に詰めると、底なし沼のようにどんどん吸い込まれる。あまりにも臭いがひど過ぎるからと納屋に捨て置かれる老人もいた。
当時の農村部では、老人が病に倒れてもなかなか医者にかからせない風潮があった。貧しさゆえに診察費が出せないという理由もある。老人たちはといえば、家族の世話になることを嫌がり、「早くお迎えが来てほしい」と一心に祈るのだった。
とはいえ、「生きたまま腐っている」という言葉がピッタリの姿で、命の最後の炎を燃やす光景がこの世にあっていいわけがない。女性は涙をこらえながらガーゼを当て、「この人たちを何とか救いたい」と強く思わずにはいられなかった。
◇在宅看護に身をささげた女性
その後、女性は内科医院に勤務しながら、在宅看護を続けた。そして、時代が下り、平成4年(1992年)の老人保健法改正で創設された老人訪問看護制度に基づいて設置が始まった老人訪問看護ステーションの開設に、還暦を過ぎた看護婦として尽力した。
女性は今年95歳になる。そんな歴史の生き証人たちが、介護の現場では利用者となっている。(了)
佐賀由彦(さが・よしひこ)
1954年大分県別府市生まれ。早稲田大学社会科学部卒業。フリーライター・映像クリエーター。主に、医療・介護専門誌や単行本の編集・執筆、研修用映像の脚本・演出・プロデュースを行ってきた。全国の医療・介護の現場を回り、インタビューを重ねながら、当事者たちの喜びや苦悩を含めた医療や介護の生々しい現状とあるべき姿を文章や映像でつづり続けている。中でも自宅で暮らす要介護高齢者と、それを支える人たちのインタビューは1000人を超える。
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(2024/02/20 05:00)
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