こちら診察室 あなたの知らない前立腺がん
早期前立腺がんに対する標準治療
~ロボット支援下手術の現状~ 第5回
早期の前立腺がんとは、がんが前立腺の中に留まっている、さらに前立腺の外、すなわち周辺のリンパ節や臓器(骨や肺など)に転移がない場合を言います。前立腺の外表面は線維性結合組織と平滑筋と呼ばれる組織で覆われています。前立腺がんが、前立腺を覆う組織に浸潤(がん細胞が広がること)した場合、一般的には「被膜浸潤あり」と言います。この場合は、早期がんではなく、局所進行性のがんと考えられます。ロボット手術は、基本的には早期がんに対して行われますが、時に、局所進行性のがんに対しても実施されることがあります。

◇前立腺がんに対する外科的手術
外科的手術とは、前立腺を切除、摘出することです。この方法は、「根治的前立腺摘除術」と呼ばれ、1982年に米国泌尿器科医のパトリック・ C・ウォルシュ先生らにより確立されました。根治的前立腺摘除術は、前立腺とそこに連続して存在する精嚢(せいのう)を切除し、途切れた尿道を膀胱と糸でつなぎ合わせます。20年以上にわたって、下腹部を縦にメスで切開して手術が行われる、いわゆる開放手術が主流でした。しかし、内視鏡や手術機器の進歩、医師の努力により、腹腔鏡を用いた手術が開始されました。さらに現在では、ロボット支援下に手術が行われる「ロボット支援腹腔鏡下根治的前立腺摘除術」が普及しています。
◇前立腺を摘出するロボット
手術に用いられているロボットは、現状では、人の代わりに何らかの作業を自律的に行う装置、もしくは機械ではありません。医師の観察画像を改善し、医師の操作を伝える機器です。手術用ロボットは湾岸戦争の時に、戦場の負傷者の治療を行うために最前線に医師を送り込むのは危険なため、遠隔で治療を行うために米国国防省により開発されたと言われています。現在では、民間企業による機器の開発と販売が継続されています。
ロボット支援手術で使用される内視鏡には人間の目のように二つのカメラが内蔵されており、そこから得られる画像は2次元ではなく、3次元で観察することができます。術者は、コンソールと呼ばれるコンピューターの制御卓に座り、体内を3次元的に観察しながら、操作します。実際に患者さんの身体の中で動く手術道具は、ペイシェントカートと呼ばれるロボットの腕で制御され、非常に小さく繊細に動きます。このため、従来の腹腔鏡手術では、一部のエキスパートだけが実施できていたような高度な技術を比較的容易に多くの医師が実施できるようになりました。
◇ロボット支援手術の成績と課題
ロボット支援手術に関する成績をまとめた論文では、術後5年間に前立腺がんで死亡する割合は4.5%と、前立腺がんに対する治療成績は標準治療として考えるにふさわしい結果が報告されています。実際に私も、「がんを治療することを第一に考えるのであれば、手術をお勧めします」と患者さんに申し上げることがあります。
一方、外科的手術は、克服しきれない課題もあります。それは、術後の尿漏れと性機能の低下です。排尿とは、尿をため、そして適切なタイミングで出すことです。この一見、単純で、多くの方が日々行っている排尿ですが、そこには脳、脊髄、骨盤内の神経、さらには膀胱、尿道括約筋、そのほかの骨盤内の解剖学的構造物が絶妙に連携しながら行っていることが分かっています。外科的手術では、尿道括約筋や、その他の神経などに傷がつくことの影響により、術後の尿漏れが出現します。尿漏れを予防するために多くの研究が行われていますが、現在のところ、この術後の尿漏れを克服することはできていません。しかし、ロボット支援下手術により繊細な手術が行われるようになってから、尿漏れの頻度は改善傾向にあります。ロボット支援手術の術後12カ月目に尿漏れが認められる割合は11.3~30.8%と報告されています。
性機能は、勃起と射精を意味します。勃起に関係する神経は、背骨の中を通る脊髄から出てきた骨盤神経が勃起神経となって陰茎に入ります。この勃起神経は、前立腺の周りを取り囲むようにして陰茎に入るため、手術により前立腺を摘出するとこれらの神経も同時に傷ついてしまいます。神経を可能な限り温存しようとする神経温存の術式もありますが、それでも勃起機能の低下が著しいことが知られています。また、射精については、精液を蓄えておく精嚢が前立腺と一緒に摘出されるため、不可能になります。
今後、解剖学的な研究や手術機器の進歩により、排尿や性機能への影響をより軽減されることが期待されます。(了)

小路直教授
小路 直(しょうじ・すなお)
東海大学医学部腎泌尿器科学領域教授 2002年東京医科大学医学部医学科卒業、11~13年南カリフォルニア大学泌尿器科へ留学、東海大学医学部外科学系泌尿器科学准教授などを経て24年から現職、第7回泌尿器画像診断・治療技術研究会 最優秀演題賞。米国泌尿器科学会、日本泌尿器内視鏡学会:などに所属。著書に「名医に聞く『前立腺がん』の最新治療」(PHP出版)など。
(2025/02/20 05:00)
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