こちら診察室 医療チームの一員! ホスピタル・ファシリティドッグ
心に寄り添い命を照らす、ファシリティドッグ
~旅立つ直前まで、全力で前向きに生きる原動力に~ 【第8回】患者家族の茶谷美穂子さん

アイビーが初めて手術室まで同行した患者第1号は奏太。記念の1枚
◇長かった入院生活で成長
この和やかな信頼関係の下、骨髄穿刺(せんし)や抗がん剤の髄腔内投与時の全身麻酔の処置前には、アイビーが一緒にいるだけで安心して臨めるようになりました。いつも友達に囲まれていた奏太。そして、生き物が大好きだった奏太にとってアイビーが毎日病棟に来て、「アイビー! 遊ぼう!」と明るく過ごしている他の子どもたちの声が聞こえる環境は、とても心地良く過ごせた場だったと言えます。
退院前のカテーテル抜去術の日、アイビーがおしゃれな服を着て来てくれました。手術室の入り口まで患者と一緒に行く許可がアイビーに出て、「ぼくが第1号!」と意気揚々とリードを持ち、歩いて手術室へ向かいました。8カ月という長い入院生活とつらい治療を乗り越えられたのは、「この経験をした自分だからこそ伝えられることがある」と思えるまでに成長させてくださった医療関係者、そして心友アイビーのおかげです。
◇アイビーに命を託し、空へ
復学した小学校を卒業し中学校に進学した22年8月、1年生の夏に再入院することになりました。何度も限界を超え、その厳しさを知る奏太がもう一度治療に向き合う姿には、勇気をもらいました。アイビーに来てほしい時は自分で医療スタッフに依頼をしたり、一緒に過ごせる環境調整をしたり、処置前の準備ができるまでに、いつしか成長していました。
発症から2年が経過した頃、骨髄移植をすることになりました。それまでに何度も受けたどんなにつらい告知よりも酷な知らせを一晩泣いて受け入れ、また前を向いて歩みを進める姿がありました。点滴台を押しながらアイビーと放射線治療に通った時は、いつも待合室に人の輪ができました。
移植室に移る前、クリーンルームのガラス窓を奏太が好きな深海をイメージして飾り付けましたが、アイビーが顔を出せるように、「窓の真ん中のスペースは必ず空けておいて」と言うのです。大橋さんは毎日アイビーを椅子に乗せて、そこから顔を見せ、付箋にいろいろなメッセージを書き残してくださいました。奏太が起きた時にそれらを一緒に見ると、厳しい現実は忘れて、気持ちがふと軽くなるものばかりでした。移植室を出てからも奏太は決して手を抜かず、生きることを諦めることはありませんでした。ポジティブなエネルギーを持つアイビーと奏太は、そこにいるだけで互いに通じ合うような関係でした。
再入院から11カ月後、奏太は静かに呼吸を整え、空に羽ばたこうとしていました。しかしその時、大橋さんが呼ぶ声に目を開き、アイビーに命を託したように私は思うのです。その後アイビーは、勇敢に生き抜いた奏太の思いを受け取ったのか、次男のそばにずっと寄り添っていました。
次男は4歳下の当時小学4年生。いつも優しく太陽のような兄は憧れの存在だったと思います。赤ちゃんの時に最初に話した言葉も「チータ(そうた)」。本当に仲良しで、いつも奏太の背中を追っていた次男は、奏太が病気になって以来、ずっと一緒に闘ってきましたが、ついに兄との別れの時を迎えなければなりません。
そんな次男とアイビーは、背比べをしたり、寝転がったりして「奏太、頑張ったよね」「君も、みんなも、頑張ったよね」と話していたのだと思います。アイビーは、これまで応援してくれた全員の頑張りをたたえているようでした。
奏太の最期の時間、アイビーに寄り添ってもらった次男は、その後とても穏やかに過ごすことができています。成長を共にした兄は次男にとって永遠の存在です。そしてアイビーは、今も治療を頑張っている子どもたちに寄り添って輝いています。命を照らすアイビーは、これからも私たちにとって家族です。今後もファシリティドッグの活動を応援しています。「アイビー、Excellent!!!」(了)
(注)都立小児総合医療センターでは現在、ファシリティドッグ2チーム目の導入に向けてクラウドファンディングを実施している。https://readyfor.jp/projects/TMCMC-FD2025
茶谷美穂子(ちゃたに・みほこ) 早稲田大学文学部教育学専修卒業。長男闘病中、認定NPO法人シャイン・オン・キッズの「チーム・ビーズ・オブ・カレッジ」に参加。日系航空会社に復職。小学校で絵本の読み聞かせを行う。中学・高等学校教員免許、NPO日本食育インストラクター、食品衛生責任者資格、一般社団法人花・芸術文化協会テーブルコーディネート・フレッシュフラワーアレンジメントディプロマ、マナー・プロトコール取得。
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(2025/02/21 05:00)
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