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伯母は逝った 第50回

 ◇小さな葬儀

 2日後、参列者がわずか3人の葬儀が神戸で行われた。

 生活保護の扶助には、生活扶助、教育扶助、住宅扶助、医療扶助、介護扶助、出産扶助、生業扶助、葬祭扶助の8種類がある。

 葬祭扶助では、死亡診断書の発行費用、遺体の搬送、火葬の費用、葬儀で必要とされるひつぎ、ひつぎ用の布団、仏衣、ドライアイス、白木位牌(いはい)、骨つぼなど、必要最小限の物が対象となる。お布施、告別式の費用、墓への埋葬費などは支給対象とはならない。支給額は、神戸市などの1級地の場合は21万5000円以内と定められている。

 そのような制限下(持ち出しも少々あった)だったが、葬儀社の2階に用意された小さな葬儀会場で、3人の参列者は死者と対面し、静かに手を合わせた。

 ◇届けられた私物

 葬儀社には、伯母の私物が紙袋に詰められて病院から届いていた。最もかさばっていたのは、紙おむつだ。「廃棄してくれればよかったのに」とは思いながらも、これが私物取り扱いの決まりなのだろう。

 衣類や小物には、見舞いに行った時にプレゼントしたストールや、病院のスタッフが伯母に贈ったバースデイカードがあった。山口さんはストールとカードをひつぎに入れた。

 ◇小さな骨つぼと納骨

 火葬場に用意されていた骨つぼは、あまりにも小さかった。生活保護受給者の肩身の狭さを象徴するようなサイズだった。山口さんは自腹で、普通サイズの骨つぼにしてもらった。

 「これは、どういたしましょうか?」

 火葬場の担当者は、小さな骨つぼを指差した。まさか、空の骨つぼを持ち帰る者はいないとは思ったが、依頼を受けなければ処分できない決まりなのだろう。

 普通サイズの骨つぼに収まった伯母の骨は、4年ほど前に他界した夫の墓に入れることにした。

 伯母は、夫のギャンブル癖に相当苦労したはずだ。山口さんも、かつてその夫に戻っては来ないだろう金を貸したことがあった。学生時代に世話になったお返しの意味を込めたつもりだった。

 伯母は、夫と同じ墓に入ることを果たして望んでいるのだろうかと考えたが、遺言もなく、選択肢はそれしかないように思えた。

 ◇伯母が暮らした部屋

 山口さんは、福祉事務所のケースワーカーと一緒に伯母が住んでいた団地を訪れた。2Kの間取り。四半世紀ぶりだろうか。だが、家具の配置も何もかもがその時と同じように見えた。

 あるじが去っておよそ2年。それにもかかわらず、玄関に投げ込まれた郵便物の山以外は、昨日まで暮らしていたような光景だった。

 しかし、帰る人はもういない。

 洋服ダンスには、デイサービスに行く日やヘルパーの来る日が大きく貼られていた。ヘルパーの来訪日は週3回。おそらく、その日は透析の日だったのだろう。

 入院前の幾らかの月日、伯母は介護保険のサービスを利用しながら、ここで踏ん張ったのだ。

 伯母は、介護サービスの人たちとこの部屋でどんな会話を交わしたのだろう。どんな気持ちで入院したのだろう。

 そんな思いを巡らせる山口さんの横では、ケースワーカーが郵便物の整理を行っている。(了)

 佐賀由彦(さが・よしひこ)
 1954年大分県別府市生まれ。早稲田大学社会科学部卒業。フリーライター・映像クリエーター。主に、医療・介護専門誌や単行本の編集・執筆、研修用映像の脚本・演出・プロデュースを行ってきた。全国の医療・介護の現場を回り、インタビューを重ねながら、当事者たちの喜びや苦悩を含めた医療や介護の生々しい現状とあるべき姿を文章や映像でつづり続けている。中でも自宅で暮らす要介護高齢者と、それを支える人たちのインタビューは1000人を超える。

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