ダイバーシティ(多様性) Life on Wheels ~車椅子から見た世界~

「タイタニック」がくれた夢
~引きこもりからの脱出~ 【第4回】

 こんにちは。車椅子インフルエンサーの中嶋涼子です。

 25年前、原因不明の脊髄の病気で歩けなくなった私は、突然障害者になった現実をなかなか受け入れられず、車椅子姿を人に見られたくなくて引きこもりがちになっていきました。そんな私を救ってくれたのは1本の映画との出合いです。それはまさに「運命の出来事」でした。

映画と出合い、引きこもりを克服

 ◇「タイタニック」に感動

 「『タイタニック』を見に行かない?」。小学5年生のある日、仲の良い映画好きの同級生に、当時大ヒットしていた映画に誘われました。車椅子で映画館に行ったことがなかったので、少し戸惑いました。「人が密集する映画館に車椅子で行くなんて、すごく目立つし、また人に見られるの嫌だなぁ」。そんなふうに思いながら、嫌々出掛けました。

 その映画館は、当時はやり始めていた大型シネマコンプレックスでした。障害者用の駐車場やトイレもあり、劇場内には車椅子スペースも設けられていて、すごくスムーズに映画を見ることができました。上映が始まり、気付けば「タイタニック」にのめり込んでいました。

 主演のレオナルド・ディカプリオに一目ぼれしただけでなく、どんな困難にも諦めずに立ち向かう男女のラブストーリーが、今まで見た映画とは比べられないほど壮大なスケールで描かれていたので、感動のあまり見終わった後は動けないほどでした。「もう一回見たい」「もう一度『タイタニック』を見に行きたい」。車椅子生活になって初めて、自分から外へ行きたいと思った瞬間でした。

 「タイタニック」は11回見に行きました。大ヒットでロングラン上映していても、だんだん上映が終わっていったので、まだ上映している映画館を探しては、電話をして車椅子でも入れるか聞きました。当時は今ほどバリアフリーな世の中ではなかったからです。

 上映時間を聞いている時は、とても親切な対応だったのに、「車椅子なんですが」と言った途端に態度が一変して、「無理ですね」と言われたり、何も言わず電話を切られたり、「車椅子の人は家にいればいいんですよ」と言われたりしたこともありました。今でも忘れられないくらい傷つきました。それでも諦めなかったのは「タイタニック」を見たいという情熱の方が勝っていたからです。

人生を変えた映画「タイタニック」

 ◇段差や人目も怖くない

 映画館によっては、入り口に階段があり、映画館のスタッフさんに車椅子を持ち上げてほしいと頼んでも「責任を負いかねますので」と断られることもありました。どうしても「タイタニック」が見たかった私は、一緒に見に行った母と、通り掛かりの親切そうな人に声を掛けて車椅子を運んでもらい、勝手に階段を上って映画館に入りました。どんな逆境にも立ち向かい、諦めずに行動できたのは、紛れもなく「タイタニック」のおかげです。

 11回も見に行くうちに、街なかで人に見られることにも慣れ、段差や、階段や坂などでは人に頼んで手伝ってもらうことも覚えました。気付けば引きこもりも治り、むしろ「タイタニック」を見に行くために、大変な場所にも行く勇気を覚えていました。毎回付き合ってくれた映画好きの母にも感謝です。

 「タイタニック」に出合っていなかったら、私は今でも人目ばかり気にする引きこもりだったかもしれません。私は運よく「タイタニック」に出合い、自分の殻を破ることができました。

 そして、「タイタニック」の主演のレオナルド・ディカプリオとケイト・ウィンスレットの大ファンになり、彼らの過去の映画をツタヤで借りて、小学校から帰ったら毎日見るようになり、彼らの新作を映画館にも見に行くようになり、気付けば映画が大好きになり、週末には必ず母や友達と映画館に行くようになりました。映画が自分の人生の一部になっていきました。

中学2年生の時、生活に必要な動作を覚えるためにリハビリ施設に入院。この時はもう映画や洋楽にはまっていた

 ◇映画の世界を夢見て

 次第に、自分が「タイタニック」に救われたように、いつか自分も映画に携わる側の人間になって、落ち込んでいる人や昔の自分のように殻に閉じこもっている人に、前向きに生きるエネルギーや、人生の楽しさを伝えられる人になりたいと思うようになりました。

 映画といえばハリウッド。「私は将来、ハリウッドのあるロサンゼルスに留学するんだ」。小学5年生でそんな夢ができました。小学校の卒業文集には「将来はアメリカと日本を行き来して、映画の翻訳者として映画のエンドロールに名前が出るようになりたいです。可能なら金髪の外国人と結婚がしたいです」と書きました。

 そんな壮大な夢を持てたのは、車椅子生活になったおかげです。今では車椅子になってよかったと心から思えます。車椅子になっていなかったら、引きこもりという、つらい経験もしていないし、「タイタニック」に人生を救われてもいない。アメリカへ行きたいとも思わず、日本で心地よく暮らしていたままだったから。

 小学校を卒業してからも、アメリカに留学するという夢は揺るがず、中高生時代は英語部に所属し、勉強が大嫌いな私でも、英語だけは真面目に勉強しました。数学や地学のテストで9点を取ったこともありますが、英語だけはいつも90点台をキープしていました。中高生といえばジャニーズやアイドルにハマる年頃ですが、私はアメリカにしか興味がなく、毎日映画を見て、洋楽を聴いていたので、当時放送されていた「トリック」「花より男子」「ごくせん」などのドラマや、安室奈美恵さんや浜崎あゆみさん、宇多田ヒカルさんたちのヒット曲もほとんど知らず、友達と話が合わなかったくらいです。

「タイタニック」を見てから作り始めた映画ノート

 ◇念願のアメリカ留学

 高校の時の進路相談で「アメリカに留学するので大学受験はしません」と言ったら反対されました。「車椅子で留学するのはとても大変で、親御さんもすごく心配するから、一度考え直したら?」と。アメリカ留学のことは周りの友達にも言い続けていたのに、卒業間近になると、「で、本当はどうするの?」とみんなに聞かれました。「ノリ」で留学すると言っているだけと思われていたようです。

 でも私は本気でした。留学先の大学を探し、留学に必要な英語のテスト(TOEFL)を受けるために塾にも通っていたのです。その塾の講師に、アメリカで映画学部を目指すなら、南カリフォルニア大学が一番いいと勧められ、そこに入学することだけを目標に高校生活を過ごしていました。

 南カリフォルニア大学は私立大学で、学費が高いのが難点です。まず短大(コミュニティーカレッジ)に入り、1~2年で一般教養を取ってから4年制大学に編入すれば学費を10分の1に抑えられることを知り、エルカミーノカレッジという短大に入学して、大学3年生から南カリフォルニア大学に編入するというプランを考えました。

 私の両親はとても自由な考えを持っているので、留学に反対されることはありませんでした。合格通知が届くと、ロサンゼルスのバリアフリーな物件を日本からたくさん探し、住む場所も自分で決めました。そして、2005年5月、一緒に行くことになった母と成田空港を出発。夢が一つ、かないました。(了)

中嶋涼子さん


 ▼中嶋涼子(なかじま・りょうこ)さん略歴

 1986年生まれ。東京都大田区出身。9歳の時に突然歩けなくなり、原因不明のまま車椅子生活に。人生に希望を見いだせず、引きこもりになっていた時に、映画「タイタニック」に出合い、心を動かされる。以来、映画を通して世界中の文化や価値観に触れる中で、自分も映画を作って人々の心を動かせるようになりたいと夢を抱く。

 2005年に高校卒業後、米カリフォルニア州ロサンゼルスへ。語学学校、エルカミーノカレッジ(短大)を経て、08年、南カリフォルニア大学映画学部へ入学。11年に卒業し、翌年帰国。通訳・翻訳を経て、16年からFOXネットワークスにて映像エディターとして働く。17年12月に退社して車椅子インフルエンサーに転身。テレビ出演、YouTube制作、講演活動などを行い、「障害者の常識をぶち壊す」ことで、日本の社会や日本人の心をバリアフリーにしていけるよう発信し続けている。

中嶋涼子公式ウェブサイト

公式YouTubeチャンネル「中嶋涼子の車椅子ですがなにか!? Any Problems?」

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