医学部トップインタビュー
日本の地域医療をリード
実践の中で医師を育てる―山形大学医学部
◇誇りの持てる大学に
地元への医師確保対策に苦心する大学が多い中、山下医学部長は「山形大学はすごいぞ、と誇りを持てるような大学であり続けることが、地元に残るモチベーションになる」と話す。
そのために、嘉山前医学部長により創設された戦略プロジェクトとして、国立大学医学部として初めての「がん研究センター」などがあり、東北、北海道地域では唯一となる重粒子線センターの研究・開発のプロジェクトも開始された。
重粒子センターは現在、2020年8月の治療開始を目指して準備を進めている。重粒子線がん治療は、放射線の一種である重粒子線を体の外から照射し、がん細胞の遺伝子を壊して治療するもの。エックス線と比べて破壊力が強く、がん腫瘍に集中的にダメージを与え、周囲の正常範囲にはダメージが少ない。痛みもなく患者に負担がほとんどないなどのメリットがある。
がんの研究と治療を総合的に行う「がん研究センター」、その中でも診療科を超えたチームが一堂に会して治療方針を検討する「キャンサートリートメントボード」や、ゲノム医療の実現に向けた「ゲノム病院」「山形バイオバンク」の創設、2万人規模の地域住民コホート研究で先制医療を推進する「山形県コホート研究」なども、山形大学医学部ならではの試みだ。こうした取り組みの結果、卒業生の約半分は県内にとどまっているという。
◇人の役に立つことをしたい
山下医学部長は、鹿児島県の出身。身内に医師はおらず、教諭の多い家系に育った。父親は高校の物理の教諭だった。
「小学校時代、運動神経は鈍いし、勉強も何もできなくて、おやじが『このままではろくな人間にならないから』といってラ・サール中学(鹿児島市)を受験させられました。周囲のみんなは絶対に落ちると思っていたのに、受かったんです」
中高一貫教育を進めるラ・サール時代の同級生には、東京大学医学部長や国立がん研究センター理事長などになった逸材がおり、それが刺激になったという。
「僕自身、本はよく読んでいましたが、それ以外はぼーっと生きていたので、周囲のものすごく頭のいい同級生に圧倒されっぱなしでした」
ただ、人の役に立つ仕事がしたいという思いがあり、「医者になれば少なくとも人の役に立てるだろう」と、東京大学医学部に入学。講義の面白さにひかれて眼科の道に進み、糖尿病網膜症の研究に取り組んできた。
「山形で世界的な疫学研究『舟形研究』に出会ったことが、とても大きな意味を持ちました。健康な人を5年ごとに追跡した巨大なデータがあることで、ただ臨床をしていただけでは分からないことがたくさんありました」
◇AIの一歩先へ
AIは過去のデータや論文など膨大な情報を瞬時に検索することが得意だが、今まで想定していない病気に対しては無力だと指摘する。
「ノーベル賞を受賞した先生方は、誰も思いもしなかったことをやった。そういうことができるようになるためには、答えのない問題を考えなければならない。患者さんのために、その場では分からないことでも、考え続けて治療につなげていくことが大切です」
学生には論理的な思考力を身に付けてほしいという。山形大学医学部の入試科目に医学部では珍しい国語が課せられているのも、論理的な思考力を試すためだ。
「さまざまなデータをもとに診断する力、相手の理解力に合わせて分かるように説明する力を培うためにも、本を読むといい」とアドバイスする。
AIの一歩先を行く医師の育成に向け、進化していく大学の今後に目が離せない。(ジャーナリスト・中山あゆみ)
【山形大学医学部 沿革】
1973年 山形大学医学部が発足
76年 医学部付属病院を開設
79年 山形大学大学院医学研究科(博士課程)を設置
83年 医学部付属実験実習機器センターを設置
93年 寄付講座「細胞情報解析学(山之内講座)」設置
2004年 大学院医学系研究科生命環境医科学専攻を設置
05年 がん研究センター設置
10年 寄付講座「地域医療システム講座(山形県)」設置
12年 医学部教育研究支援センターを設置
13年 医学部メディカルサイエンス推進研究所を設置
14年 付属動物実験施設、教育研究支援センター、RIセンター、遺伝子実験施設をメディカルサイエンス推進研究所の下に
寄付講座「地域医療人キャリアアップ推進講座(山形県)」設置
15年 寄付講座「先進がん医学講座(日新製薬)」設置(現在の「先進医学講座」)
16年 寄付講座「最先端医療創生・地域の医療人育成推進講座(山形県)」を設置
17年 大学院医学系研究科先進的医科学専攻を設置
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(2019/06/12 11:00)