脳出血を起こしたA子さんの急性期リハビリ
〜ある患者と家族の体験を通して〜 執筆業、元「厚生福祉」編集長 東条 正美
集中治療室(ICU)=写真はイメージです【AFP時事】
◇「赤ん坊に返る」という意味
Kさんは、ほぼ1日置きにA子さんに面会していた。手術から3日後にはリハビリが始まり、その頃から「はえば立て立てば歩めの親心」の心境になったという。Kさんが、生まれた子どもの成長を願うことわざでA子さんのリハビリを振り返ったのには訳がある。
Kさんは、A子さんの手術後に、脳卒中などを発症した患者の家族の心構えについてインターネットで調べた。その中の「脳卒中後の患者と接し、『赤ん坊のようになってしまった』と感じる人も少なくない」という記述が印象に残っていたためだ。
Kさんは「いろいろ世話をしなければならないということだろうか」「わがままになるということだろか」などと思ったが、次第に「そういう意味ではないのかもしれない」と考えるようになったという。
A子さんの出血は頭の左側だったので、右半身が麻痺(まひ)するという後遺症があった。しかし、ベッド上でリハビリを受ける様子に「ああ右手が少し動いた。右足が少し反応した」などと皆で喜んだ。手術から1週間ほどが経過しても口をきくことはなかったが、Kさんが「会社の〇○さんが心配して見舞いに来たいと言っているけど、〇○さんのことは分かるか」と聞くと、A子さんはうなずいた。この時は「倒れる前の記憶はあるようだ」とほっとしたという。
手術からおよそ2週間後には車椅子に乗ることができるようになり、リハビリ室に出向いてリハビリを始めると、赤ん坊が成長しておもちゃの車に乗れた時のような気持ちになった。リハビリ室で平行棒を伝いながら歩行した時は、「つえなしでも歩くことができるかもしれない」という希望が見えてうれしかった。
また、フォークを持って食事ができるようになった姿をスマートフォンで撮って、A子さんの会社の友人に送ったりもした。「若いので身体の回復も早いのでしょうか」と担当医に聞くと、見通しについては口の堅いその医師が、珍しく「そう言えるでしょうね」と明言した。その時はその医師が頼もしく思えた。
「あいうえお」がなかなか発音できず「はいふえほ」となっても、言葉が少しずつ出てくるようになったと喜び、テレビを見るようになった時は、「内容を大体理解できるのか。人が話すことは理解できるようだ」と安心した。
Kさんは「次第に表情も豊かになっていきました。しばらくすると、面会に来た私の顔を見て、A子が『にこっ』と笑うようになったのですが、その表情はまるで赤ん坊のようで、いつもとは違っていました。それでも、リハビリのたびに成長していくようで、『頑張れ、頑張れ』という心境になっていきました。『赤ん坊に返る』というのは、赤ん坊の成長を見守る親の心境を例えたのではないかと思うようになりました」と振り返った。
◇急性期リハビリの重要性
もちろん、リハビリの限界にも直面したが、A子さんのリハビリについてはいったん置いておき、A子さんのリハビリが手術から3日後にスタートした点などに注目して、急性期リハビリの内容や役割を見てみる。
脳出血の手術という大手術の3日後のリハビリ開始というのは、一般にはかなり早いと感じるだろう。確かに、脳卒中などのリハビリはかつて急性期ではなく、病状が落ち着いた回復期から専門の病院や施設で行うことが多かった。しかし、最近では、脳科学の進歩に伴い、発症後早期に開始することが良好な機能回復につながることが多いといわれるようになった。実際に、急性期リハビリは早ければ入院日、あるいは翌日にもベッド上で開始されることが多いという。
「患者の意識がなく自分で動けない場合でも、理学療法士がベッド上で手足を動かしたりする。医学的にリスクのあるケースを除き、発症後48時間以内にリハビリを開始し、365日行う」という病院も見られる。
厚労省の研究会が04年にまとめた「高齢者リハビリテーションのあるべき方向」についての報告書は、①最も重点的に行われるべき急性期リハビリ医療が不十分②効果が明らかでない長期間にわたるリハビリが行われている③在宅でのリハビリが十分でない──などの課題を指摘。急性期の医療機関において疾患の治療と並行して、早期離床などのリハビリを実施することなどを提言した。
日本脳卒中学会は脳卒中治療ガイドラインで、「長期の安静臥床により廃用性筋萎縮(筋肉が衰える)が進行するため、可能な限り早期からリハビリを開始する必要がある。発症からリハビリ開始までの期間が長くなるほど、廃用性筋萎縮が著しい。早期離床により、深部静脈血栓症(身体の深くにある静脈で血液が凝固する)、褥瘡(じょくそう)、関節拘縮(関節が硬くなり動きにくくなる)、肺炎など長期臥床で起こる合併症を予防することが可能」(かっこ内の説明は筆者が加筆)としている。
このように、急性期リハビリの大きな目的は、廃用症候群の防止・軽減だ。廃用症候群とは、病気などの治療のため、長期間にわたって安静状態を継続することにより、身体能力の大幅な低下や精神状態に悪影響をもたらす症状のことをいう。廃用症候群を発症すると、廃用性筋萎縮、肺炎などの循環・呼吸器障害のほか、うつ状態などの自律神経・精神障害を引き起こす。さらに、急性期リハビリは食事や移動、排せつや入浴といった基本的なADL(日常生活動作)を可能とすることも目標となる。
ガイドラインは「早期にリハビリを開始することにより、体幹機能を良好に保ち、再発リスクの増加も見られず、入院期間が短縮された」「発症から24時間以内に座位、立位などのリハビリを開始して、急性期の訓練量を多くすることにより、死亡率は変わらず、その後の機能予後も良い傾向があった」などの研究結果を紹介している。
ただし、「昏睡(こんすい)、神経徴候の進行、くも膜下出血、脳内出血、重度の起立性低血圧、急性心筋梗塞などがある場合にはリハビリの開始を遅らせる」としている。
急性期のリハビリの流れ
次に、急性期リハビリがどのような手順で行われるのかを確認しておこう。リハビリはリハビリ実施計画書の作成からスタートする。同計画書は、リハビリを受ける患者の状態や目標、目標を達成する方法などを記入して患者や家族に説明する書類。リハビリは医療行為なので、医師の指示の下に行われる。その後のリハビリの実施は、国立循環器病研究センターによる脳卒中のリハビリに関する解説などによると、3段階に分けることができる。
▽第1段階
脳卒中の場合、発症時や手術後に病状が進行する危険性があり、病状が安定するまでベッドから起き上がれないが、この時期から病床に理学療法士などが訪問し、リハビリが始まる。早期から、ベッド上のリハビリによって姿勢を整えたり、手足の関節を動かしたり、筋力を付けたりする練習を開始する。
▽第2段階
病状が安定すると、「ベッドから起きる」(離床)練習が始まる。ベッド上で座れるようになれば、足を床に下ろして座る練習などをして、その後は車椅子に乗る練習となる。
▽第3段階
車椅子に乗ることができるようになると、患者の移動範囲は大幅に広がり、多くの患者はICU(集中治療室)などを出て一般病棟に移る。リハビリを行う場所もベッド上からリハビリ室となる。
以上が急性期リハビリの流れだが、リハビリの内容としては、①理学療法②作業療法③言語聴覚療法──がある。理学療法は、起き上がる、座る、立つ、歩くなど生活の基本となる動作能力を習得する運動を行う。最初は平行棒などを用いて行い、歩行が安定すれば、つえを使っての歩行となる。立位や歩行を補助するための装具・機器も使用される。理学療法は理学療法士(PT)が担当する。
作業療法は、患者がご飯を食べる、トイレに行く、着替えをする、歯を磨く、字を書くなどの応用動作を身に付ける練習を行う。社会復帰が近づいた患者には、家庭での場面を想定した炊事や掃除など、さらに復職に向けた指導や練習なども行う。作業療法は作業療法士(OT)が担当する。
言語聴覚療法は、聞く、話す、読む、書くなどの言語機能に障害のある患者の障害程度を評価し、必要な練習や助言を行う。言語機能の障害には失語症と構音障害がある。
失語症には、言葉を聞いて理解できるのに、うまくしゃべれない運動性失語、なめらかに話すものの、言い間違いの多い感覚性失語などがある。構音障害は発音が不明瞭となる状態を指す。また同時に摂食・嚥下(えんげ)の練習も行う。言語聴覚療法は言語聴覚士(ST)が担当する。A子さんのY大学病院でのリハビリも、こうした内容に沿ったものだった。
国立循環器病研究センターは急性期のリハビリを実施する上での留意点として、「不安定な病状のときにリハビリを進めれば、かえって病状を悪化させる危険がある」「患者自身の自主的な訓練でなければ、効率的な回復は望めない」「リハビリで同じ訓練をしても、それぞれの患者によって運動機能の回復の度合いは異なる」──などを挙げている。(時事通信社「厚生福祉」2021年1月29日号 難病をめぐる医療・リハビリ・福祉(56)より転載)
(2021/04/01 05:00)
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