Dr.純子のメディカルサロン
スマートフォンで心を整える
~コロナ禍、AIセルフカウンセリング~ むしゃくしゃ・落ち着かないとき、雑談もOK
新型コロナの影響が長引き気持ちが落ち込んだり、鬱憤(うっぷん)がたまったりしている人が多いと思います。病気ではないけどむしゃくしゃする、気持ちが落ち着かないという人のために、昨年新しく開発された人工知能(AI)によるセルフカウンセリングを紹介したところ大きな反響がありました。今、AIによる心のケアはどうなっているのか、その状況を認知行動療法の第一人者である大野裕先生に聞きました。(聞き手・文 海原純子)
スマートフォンで簡単に相談できる
◇AIとのチャットに高い評価
海原 昨年のコロナ禍でAIによるセルフカウンセリングのチャットボットの紹介をすると、多くの人から「役に立った」という声をいただきました。1万件以上のアクセスがあったと聞きました。こうした反応は予想通りでしたか。
大野 AIによるセルフカウンセリングのツールのチャットボット「こころコンディショナー」は、ご指摘のように多くの人に利用されています。特に、2020年5月に「こころコンディショナー」のパイロット版を緊急公開しましたが、反響が大きく、7月までの3カ月間で1万5千人にアクセスいただき、アンケートにお答えいただいた人の80%以上から、これからも使ってみたいという高い評価を得ました。
コロナ禍の自粛生活の中で、ストレスを感じている人が多いと考えて公開したのですが、これだけ多くの人に関心を持ってもらったのは予想以上で、その後も使ってもらっているのはありがたいことだと考えています。現在、東京都と世田谷区では、ホームページから「こころコンディショナー」を使えるようになっています。
海原 3カ月で1万5千人というのはすごいアクセスですね。私も試してみましたが、とてもやりやすいな、という感じがしました。コロナによる行動制限や自粛が続く中で、病気ではないが何となくもやもやしている人が多いと思います。人に対してではなく、AIとのチャットというのは遠慮しなくていいので話しやすいということも大きいと思いますが。
大野 ご指摘の通りで、コロナ禍で多くの人がモヤモヤした気持ちで生活されています。そもそも私たち人間は一人で生きていくことはできず、太古の昔から、いろいろな難局に直面したときにみんなで力を合わせて生き抜いてきました。ところが、今回のコロナ禍では、自粛生活が要請され、他の人とつながることができなくなっています。困ったときには親しい人に相談し、力を出し合って切り抜けるという、私たちが本来持っている心の力を生かしにくい状況が続いているのです。そうしたこともあって、周りの人に相談した方がよいといくら言っても、ちゅうちょする人が少なくありません。
ストレス度によって3通りの対応がある
◇認知行動療法と雑談と
海原 そんな時に、チャットボットに相談するということですね。チャットボットはどんな仕組みになっているのでしょうか。
大野 一人で考え込んでいても、良いアイデアが浮かぶことはあまりありません。目の前で起こっている困った出来事に心を奪われて、適切な対処策を考えるエネルギーが低下しているからです。そうしたときに、気兼ねなく思いを書き込んで、心を整えることができるチャットボットが強い味方になると考えています。
その時に、ただ自分の気持ちや考えを書き込むだけでもずいぶん心が軽くなります。「こころコンディショナー」は大きく分けて二つの流れから構成されています。一つは、私が専門にしている認知行動療法の考え方を基に考えを整理しながら工夫して先に進んでいく流れ、もう一つは自分の思いや考え、気持ちをただ書き込んでいく雑談の流れです。
どちらの流れを使うかは、毎回、利用開始時に利用する人が決めるのですが、「こころコンディショナー」の一般公開以来の利用状況を見てみると、認知行動療法の考え方を基に心を整理する方法が4分の3、雑談の流れが4分の1の割合になっています。このことから、利用する人が主体性を持って自由に選んで使っていることが分かります。
海原 なるほど。心を整理していくツールと、雑談で気持ちを表現するという二つの流れなのですね。チャットボットとの会話ですっきりする人はそれでいいと思いますが、もともと不安定な精神状態の人やうつ状態の予備軍でこのままではリスクが高い人の場合、次の支援につなげる新たな試みや自治体との協力もされていると聞きました。そのあたりを教えてください。
大野 確かにチャットボットとの対話だけで気持ちが晴れればよいのですが、チャットボットと会話するだけでは不十分で、人とリアルに話したいと考える人は少なくないようです。私たちの調査でも、チャットボットを使っているうちに、人に相談したくなった人がいることが分かっています。昨年からの無料公開を通して、人に相談するつなぎ役としてチャットボット「こころコンディショナー」を使っていることが分かったのはよかったと思っています。
そうしたことから、先にお話ししたように、東京都や世田谷区で「こころコンディショナー」を使えるようにしています。ただ、チャットボット「こころコンディショナー」の開発の背景になった考え方が分からないと使いにくいので、それぞれの自治体のユーチューブの専用チャンネルから私が講演した動画を視聴できるようになっています。ちなみに、私個人も10~15分の認知行動療法の解説動画を「こころコンディショナーチャンネル」として配信しています。
こうしたチャットボットなどを利用した心の健康支援は国レベルでも注目されていて、現在、日本医療研究開発機構(AMED)の研究班による遠隔対応型のメンタルヘルスケアに関する研究が始まっています。この研究では、住民の方がインターネット上で自分の心の状態をチェックして、少し疲れているだけであれば「こころコンディショナー」を使って心を整えるように勧めます。一方、精神的な不調が強いと判断された場合や、「こころコンディショナー」を使っても心が軽くならない場合には、電話などを使って相談機関に相談するようになっています。さらに、そこで医学的な対応が必要だと相談員が判断すれば医療機関を紹介する仕組みになっています。
◇国民の心の健康維持へ
海原 今後このシステムはどのように進んでいくのでしょうか。
大野 ここまで説明させていただいたように「こころコンディショナー」は、心が疲れたときに一人で心を整えるのに役に立つシステムだと思います。現在のコロナ禍はもちろんのこと、コロナ禍が解消された後も、日常生活のストレスを感じたときに使えるように、これからも基本的なシステムは無料で使えるようにしたいと考えています。
ただ、悩みを抱えたときに心を整理するだけでは物足りないと考える人や、せっかくの書き込みを保存しておいて後で、振り返りたいと考える人もいます。そうした人たちのために、有料にはなりますが、書き込みを保存し、過去の書き込みの要約が分かるようにもしたいと考えています。その他に、心が軽くなるエッセーを届けたり、それを音声で聴けるようにしたり、悩みの解消に役立つ新聞記事を紹介するようにもしたいと考えています。さらに、時間はかかるかもしれませんが、日本語以外の言語で提供したり、音声での会話ができたりするようにまでなればという、夢のような思いもあります。
このように、「こころコンディショナー」を使ってストレスに上手に対処できるようになれば、自信を持って自分らしい生活を送れるようになります。最近、欧米で国を挙げて、心理的ウェル・ビーイング、つまり国民の心の健康を維持し高めようという取り組みが盛んになっていますが、私は「こころコンディショナー」がその有力な手段の一つになると考えています。
その一方で、こうしたデジタルのシステムの限界もあります。先にも触れたように、私たちはこれまで、他の人と力を合わせて困難な状況を生き抜いてきました。人間的なつながりは、心のエネルギーのために不可欠です。そうしたことから私は、「こころコンディショナー」のようなデジタルツールは、ストレスを感じたときに心を整えると同時に、必要に応じて、他の人とつながりを持てるように手助けができるようになると理想的だと考えています。
◆ご案内
海原 心が活気を失う前のこうした対策は大事ですね。病気になってから治療するのではなく、普段からウェル・ビーイングを目指すことが必要だと思います。AIによるセルフカウンセリングの詳細は今年10月に行われる第10回日本ポジティブサイコロジー医学会で、大野先生の講演があります。医師だけでなく一般の方もオンラインで視聴できますので関心がある方は以下の情報を参考になさってください。http://jphp.jp/shukaisemi.html
大野裕医師
大野 裕(おおの ゆたか) 精神科医、認知行動療法研修開発センター理事長、ストレスマネジメントネットワーク代表。1978年慶応大医学部卒業、同大精神神経学教室。コーネル大医学部、ペンシルベニア大医学部留学。慶応大教授、 国立精神・神経医療研究センター 認知行動療法センター長を経て、現在顧問。国際的な学術団体 Academy of Cognitive Therapy の設立に関わり、日本認知療法・認知行動療法学会、日本ストレス学会、日本ポジティブサイコロジー医学会の理事長。2001年から日本経済新聞コラム「こころの健康学」執筆。
(2021/05/10 05:00)
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