歯学部トップインタビュー

自由な雰囲気で切磋琢磨
~歯科の可能性拡大に挑む―昭和大学歯学部~

 昭和大学は1928年に設立された昭和医学専門学校に始まる。その後、昭和医科大学となり、77年に歯学部が創設された。医学部、歯学部、薬学部、保健医療学部の4学部からなる私立医系総合大学として発展してきたが、槇宏太郎歯学部長は学生に向けて、「歯科の世界には、みんながまだ想像していないことがたくさんある。実はものすごい可能性を秘めている。希望をもって歯科医の道を目指してほしい」と話す。

槇宏太郎歯学部長

槇宏太郎歯学部長

 ◇「絶対に治すんだ」という気概をもつ歯科医に

 建学の精神は至誠一貫。真心をもって尽くすという意味だ。創立者の上條秀介氏が関東大震災の時、現場で動ける医師が足りずに、けが人を救いきれなかったという「じくじたる思い」が根底にあると伝えられている。

 「あまり精神論的なことは言いたくないのですが、この建学の精神には、どんな状況でも患者さんを治すんだという思いが込められています。患者さんにも自分で治すんだという気持ちが必要ですし、医師の側も絶対に治すんだという気概が必要。この考え方は昭和大学のすべての学部に浸透しています」

 昭和大学歯学部の設立は1977年、立ち上げに向けて集まった教授陣は血気盛んで、新しいことにチャレンジしていこうという気風があるという。

 骨代謝研究で2021年、文化功労者に選ばれた須田立雄名誉教授もその1人だ。カルシウム代謝を調節するビタミンDに着目した研究で日本の骨代謝研究をリードし、骨粗しょう症の治療薬となる物質を考案した。1992年にはスペースシャトルを用いた「宇宙卵」の実験に参加。ニワトリの受精卵を使って、宇宙の無重力空間で骨格成長がどのように影響を受けるかを調べた。

 「歯科は歯のことばかりではなく、骨の研究で整形外科と共同研究を行うなど、幅広い分野に活躍の場があります。昭和大学には、いろんなことに興味を持って、学んでいける環境が整っていると思います」

 ◇1年生は全員が寮生活 切磋琢磨で思わぬ教育効果

 全学部の1年生が全員、寮生活を送る。1部屋4人で24時間、共に生活するという環境は現代の学生にどう受け止められるのだろうか。

 「特に、ここ数年は高校時代にコロナ禍で学生生活を普通に送れていないこともあって、学生たちは『寮生活が楽しくて仕方ない』と言うんです。入寮時には、全員PCR検査をして陰性確認していましたから、寮にいる学生たちは一緒にスポーツをしたり、寮祭など、心置きなく学生生活を満喫していました」

 多くの歯学部が歯科医師国家試験対策のため、学生をいかに勉強させるかに苦心しているが、寮生活こそ学生たちが自発的に学ぶモチベーションにつながっている。

 「うちは、かなりのんびりしていて自由なんですが、面白いことに寮生活を送る中で、誰がどれくらい勉強しているか生活のすべてが見える。自然とグループで集まって教え合ったりしていて、試験勉強にものすごくプラスになっています」

 この1年間で培われたベースに、指導担任制度や修学支援制度など大学による手厚いサポートも加わった結果、6年生までスムーズに進級し、歯科医師国家試験を受験できる学生が多いという。

旗の台キャンパス正門

旗の台キャンパス正門

 ◇模擬授業で入試 入学後の可能性を探る

 昭和大学歯学部に入学したいという強い意志を持った学生を対象に、総合型選抜入試(AO)を行っている。方法もユニークだ。試験会場で模擬授業を行い、その内容の理解度を見る。

 「暗記したことを試験するより、もっと大事にしたいのは、実際に入学した後、授業にちゃんとついてこられるかどうかです。模擬授業はノートもメモも取って良いので、内容を理解して、昼休みを挟んで受けた授業に対する試験をする。頭の中を短時間で整理して、そしゃくできるかどうかを測ります」

 今年度は募集人員5人の枠に40人以上が受験した。昭和大学歯学部が、どんな授業をしているのかを知ってもらう機会としても役に立っているという。

 「歯科医院はコンビニより多いなど、ネガティブな報道が多い時期もあり、それに惑わされる受験生も多かったかもしれません。でも、これからは歯科が健康管理にかなり大きな役割を果たす時代です。歯科医を目指す学生に、どんどん受験してもらいたい」

インタビューに答える槇歯学部長

インタビューに答える槇歯学部長

 ◇「どんなことをしても治す」を実践

 槇歯学部長は、福島県出身。もともと理系ではなかったが、高校時代に親知らずを抜いてもらった歯科医との出会いがきっかけで、歯学部への進学を決めた。

 その後、歯科の専門領域を歯列矯正に決め、歯科医師人生を大きく変えることになった。

 「矯正の恩師が面白い先生で、『これが分かっていない』『疑問のまま残されている』『解決されていない問題だ』と授業で言うんです。分かりきったことを教えるより、解決できていない問題を教えた方が、若い人たちが自分たちで研究に進んでくれるかもしれないと思ったらしく、私はすっかりそのパターンにはまりました」

 当時は、今ほど歯列矯正が盛んに行われておらず、いわば未開拓の領域。薬も手術も使わず、生体の代謝の力を使って骨を動かす歯列矯正の技術は伝統工芸のようにも見えたという。

 新しいことにチャレンジする大学の精神を受け継ぎ、本物の人間そっくりにできた患者ロボットを早稲田大学と工学院大学との共同研究で開発にこぎつけた。ロボットはせきをしたり、むせたり、舌も動く。また、瞬きもするし、脈が取れ、言葉を発することもできるし、痛いときには手を挙げる。国内だけでなく海外からも注目され、視察を受けることもあるという。

 「歯を削る道具は刃物ですから、別のところに当てると舌や唇を切ったりします。実際、卒業後1~2年目に事故が多いんです。生身の患者さんではなく、ロボットを使って練習できたら事故が防げるのではないかと思うんです」

 外科手術を要する矯正治療が困難な症例で、他では「治療できない」と言われて駆け込んできた患者に全力で向き合ってきた。

 「あごに強度の変形があって、『かみ切れない』という若い女性が母親と一緒に来たことがあります。目の前で泣かれてしまって、何とかして治したいと思ったのですが、あごの骨の一部が先天的に欠損している難しいケースで、当時、誰も治療経験が無かった。英国の学会で友達になったドイツの先生に相談して、頭から骨を移植する方法を教えてもらいました。実際に、その方法を用いた結果、手術は計画通りに成功しました。後年、この患者さんから『結婚して子どもも生まれた』とハガキをもらったのですが、やはり、うれしいですね。これから歯科医師を目指す学生にも、こういう経験をしてほしいと思います」

旗の台キャンパス内

旗の台キャンパス内

 ◇歯科医の未来には無限の可能性が

 槇歯学部長自身が現在、企業と共同研究して開発に携わっているマウスピース型矯正装置には、歯科医の未来を変えるだけのインパクトがあると夢を膨らませる。

 マウスピース型矯正装置にマイクロチップを埋め込み、体温、血中酸素濃度、呼吸、血糖値など、さまざまな生体情報を採取できるようにする。

 「注射など侵襲的なことをせずに24時間、何日間もの生体情報を取ることができます。心電図で分かるより、もっと前に心臓の動きが弱くなっているのが分かるようになるかもしれません。これが使えるようになれば、国民の健康を最初に診て、管理するのは歯科医師になる時代もそれほど遠くないと思います。歯学部は未開の地。分かっていないことがたくさんある、だからこそ無限の可能性を秘めている。学生はぜひ夢を持って来てほしい」(ジャーナリスト/中山あゆみ)

槇 宏太郎(まき・こうたろう) 1984年昭和大学歯学部卒業。1989年昭和大学大学院・歯学研究科修了(歯学博士)、2003年から昭和大学歯学部主任教授(歯科矯正学講座)。13~19年昭和大学歯科病院長。19年より現職。

【昭和大学歯学部 沿革】
1925年 医学博士上條秀介、医学専門学校設立の必要を提唱
      28年 財団法人昭和医学専門学校設立
  46年 昭和医科大学設置
  59年 大学院医学研究科博士課程設置
  64年 薬学部創設
      昭和医科大学を昭和大学に名称変更
  69年 大学院薬学研究科修士課程設置
      77年 歯学部創設
          歯科病院開院
  83年 大学院歯学研究科博士課程設置
  92年 歯学部研究グループによる米国スペースシャトルを用いた「宇宙卵」の実験に成功
2002年 保健医療学部創設
  06年 大学院保健医療学研究科(修士課程)設置
      16年 昭和大学歯科病院内科クリニック開院

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