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臨床に高い評価-京都府立医大
地域医療に貢献する根強い精神

インタビューに応える竹中洋学長

インタビューに応える竹中洋学長

 京都府立医科大学の創設は1872年(明治5年)にさかのぼる。明治維新に伴う東京遷都で人口が急減した京都を衰退から救う事業の一環として、西洋近代医療を施す病院を設立し、併せて近代医療教育を実践したのが始まりだ。設立当初から府民と共に歩んできた京都府立医大は臨床医療が高く評価され、「地域医療を一生懸命に行う精神が根強い」。竹中洋学長に将来を見据えた医療教育の課題などを聞いた。

 ◇町衆、花街も寄付

 東京に首都が移ると京都は活気を失い、人心も動揺した。そうした中で西欧文明を取り入れることに活路を求めた京都の住民は西洋医学の病院設立を念願。しかし、明治政府が受け入れなかったため、お寺や町衆、花街からも寄付を集め、天皇陛下の下賜金の一部も活用して、お寺の境内に府民のための「療病院」を建設した。

 招請したドイツ人医師が診療に加えて、学生だけでなく開業していた蘭学医や漢方医にも医学を講義。竹中学長は「新しい統一された医師免許を出す試みだったかもしれない。明治政府は20年遅れて(医師免許制度を)始めたが、京都ではここ(府立医大)を出ないとだめだという流れがあった」と言い、西洋医学教育の先駆けだったと強調する。

 明治初期から医師を輩出してきた長い歴史から、大きな医療ネットワークを持ち、京都全体で約8割の医療施設が府立大系と言われている。竹中学長は「医療ニーズ、(少子化などで)集約しなければならない産婦人科などを考えながら、苦心をして医師を供給している状況だ」と、地域医療に対する責任の重さを指摘した。

 ◇「近未来地域医療学講座」を創設

京都府立医科大学の本部棟(右)

京都府立医科大学の本部棟(右)

 地域医療の中核を担う京都府立医大は、京都府が作成する地域医療構想に協力する。これに備えて大学院に「近未来地域医療学講座」を創設。この講座では診療情報などのビッグデータを活用するほか、地域住民の意見も踏まえた研究を進める予定。竹中学長は「満足度の高い医師配置、医療ネットワークを京都府と共に構築していきたい」と強調。さらに、「2040年にかけて起こる人口の地殻変動を考えると病院を一つつくる、統廃合をするにしても莫大(ばくだい)な資金がいる。きちんとした数値予測に基づいた話し合いをしたい」と気を引き締めている。

 地域医療への貢献、多くの病院に医師を送っている歴史から京都府立医大は臨床で高い評価を得ているが、それだけではない。竹中学長は「文部科学省からの科学研究費は全大学でベスト10前後。医学部では3位以内に入っている」と指摘。「臨床の課題を研究課題に落としていく面では優れている」とした。今後の研究をめぐっては、「学問が学際的になっている。今、がん診療の実態に触れれば、外科も内科もない。そういう意味での(研究の)大きな展開力は少し弱いと思う。この部分を大きく育てたい」。

 ◇「好奇心を持って前へ進む」

 さらに、新たな試みとして「健康医学講座」で予防医学の研究を進める予定だ。具体的には、睡眠や食べ物が健康に及ぼす影響といった「分かり切ったことでも明確な答えが出ていないもの」を念頭に置いて、「健康課題を病気という形で捉えて研究する。それが、新しい研究課題や疾病課題に取り組んでいく力になっていく」との認識を示した。

 竹中学長は開業医の家系で8代目。「高校時代は医者にはなりたくないと思っていた」ものの、母親に強く要請されて大阪医科大学に入学すると、「好奇心を持って前へ進むことをたたき込まれた」。卒業後は祖父が関係の深かった京都府立医大で研修医を務め、その後、研究の道に入った。大学院時代は微生物学教室に籍を置いた。与えられたテーマは「当時花形だったインターフェロン(ウイルスなどに反応して細胞が分泌するタンパク)が免疫に及ぼす影響だった」。

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