一流に学ぶ 難手術に挑む「匠の手」―上山博康氏
(第13回)手術失敗も「放映を」=1年後、確認できた奇跡
◇カメラにピースサイン
上山氏は手術後、「血液が行かなかった時間が長くて、右半身にまひが出てしまった。本当におわびするしかありません。すみませんでした」と謝った。でも、血管は必死につないだ。リハビリで何とか機能が回復してくれればと祈った。
歩いて入院した少女が車椅子で退院した。手術で動脈瘤がなくなったことで、いつ死ぬかもしれないという恐怖からは救われたのだから、手術が無駄だったわけではない。学校にも行けるようになった。しかし、半身まひの体では自転車に乗ることもできない。少女は上山氏の言葉通り、懸命にリハビリに励んだ。
「父親は娘に後遺症が残る可能性も覚悟した上で、『今後の人生でめげてしまうこともあるかもしれない。テレビに出ることが、その時の励みになれば』という深い気持ちで収録を承諾してくれた。結果が悪かったからといって、その思いを踏みにじることはできない」
上山氏の訴えに動かされたテレビ局スタッフは1年後、再び少女のもとを訪れた。すると、自転車をスイスイとこぎ、まひが残っていた右手でジャンケンができるまで回復していた。
少女はテレビカメラに向かって「上山先生、ありがとう」と、右手でピースサインを送った。そして一連の経緯はこの後、放映された。
同氏の諦めない精神と、主治医を信じて頑張ってきた家族の思いがつながった。(ジャーナリスト・中山あゆみ)
←〔第12回に戻る〕戦う相手、人から病気に=最後のとりで、患者に「大丈夫」
- 1
- 2
(2017/12/07 10:38)