一流に学ぶ 角膜治療の第一人者―坪田一男氏

(第1回)「ナンパ」でつくる人脈=山中伸弥氏も友人に

 坪田氏は1955年、東京・両国で祖父の代から営むガラス問屋「坪田ガラス店」の長男として生まれた。戦後の建設ラッシュで店は繁盛し、従業員も5~6人いる活気ある店だった。

 父は義理人情に厚く、店で働く従業員たちをとても大切にした。徳望が厚い人物が選ばれる亀戸天神の氏子総代を20年務めた。坪田氏は、神社の祭礼で法被を着て神輿(みこし)を担ぐ姿を、子どもながらに誇らしく思ったという。母は「世の中に悪い人はいません」が口癖。明るく社交的でよく人を招いてはもてなしていた。両親も兄弟も親せきもみんな仲が良く、10年前に父が亡くなったとき、その足跡を『パパからもらった宝もの』と題する写真集にまとめたほどだ。坪田氏の子ども時代は楽しい思い出にあふれている。

 「あの頃、正月には『初荷』をにぎやかにお客さまに届ける習慣がありました。じゅばんを着てトラックにガラスを積み、さっそうと出掛けていく父の姿がすごく格好良く見えた。僕も将来、絶対ガラス屋さんになろうと思っていました」


 ◇やんちゃ坊主

 やんちゃな子どもだった。幼稚園の時の事。「うちの商売が繁盛するためには、よその家のガラスが割れればいい」と思い、他人の家の窓ガラスに石を投げつけた。「お前、親孝行だけどばかじゃないの」と母親に叱られたこともある。

 地元の公立小学校から中学受験をして慶応の普通部に入学。小学校時代は体育や音楽も含め成績は抜群だった。「父は『人生で最も大切なのは子どもだ』という考えの持ち主で、財産を投げ打ってでもきちんと教育してやりたい、と母に話していたようです」。

 今でこそ当たり前だが、東京オリンピック直後の年の小学校4年生から進学塾に通って勉強していた。しかし、内部進学で大学まで行かれることに安心したのだろうか、「中学と高校は遊び過ぎた」と振り返る。

左端が坪田一男氏
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