女性アスリート健康支援委員会 アスリートの田中理恵は永遠に消えない ~競技者として女性として母として生きる~

これまでの自身の経験伝えたい 【第2回】

東郷神社にロンドン五輪の必勝を祈願した、体操日本代表の田中3きょうだい。左から、和仁さん、理恵さん、佑典さん=2012年7月、東京都渋谷区

東郷神社にロンドン五輪の必勝を祈願した、体操日本代表の田中3きょうだい。左から、和仁さん、理恵さん、佑典さん=2012年7月、東京都渋谷区

 ◇体操史上初の3きょうだい五輪同時出場

 ―競技の話に戻りますが、大学3年で北京五輪出場を目指してリスタートしたわけですが、残念ながら北京五輪には出場を果たせませんでした。しかし、4年後のロンドン五輪で日本代表に決まりました。その時の心境を改めてお聞かせください。

 「ロンドン五輪には3きょうだいが一緒に出場できるという『こんな幸せなことがあっていいのか』と不安になるぐらい、びっくりするぐらい、うれしかったですね。私は6歳から体操を始めて、体の変化やうまくいかない時を乗り越えてロンドン五輪に出場できたことは、両親やいろんな方々にも恩返しができたという幸せな瞬間でした」

 ―3きょうだい一緒に出場できたというのは、やはり本当にうれしかったのですね。

 「うれしかったですね。その半面、『ここからどれだけ注目されるのだろう』という不安もありましたが、あまりプレッシャーに感じないようにして、五輪に向けて頑張っていました」

 ―五輪では悔いなく演技ができましたか。

 「世界選手権なども経験させてもらいましたが、ロンドン五輪の舞台は一番緊張しました。女子のゆかの演技では音楽が流れるのですが、実は音楽があまり聞こえていない、ふわふわとした状態で演技したのを覚えています」

 ―音楽の音が小さかったというわけではなかったのですね。

 「いえ、そんなことはなく、ただただ緊張していて。体は(演技を)覚えているので、体が勝手に動いているという感覚でした。やり直せるなら五輪だけはやり直してみたいという気持ちが今でもあるぐらい、五輪の舞台は違う空気がありました。でも、会場の中に祖母を含め家族全員がいて、『こんな幸せはないだろう』とも思いました」

 安達先生 家族が皆さんいらっしゃったなんて、普通はあり得ないようなことでしたね。

 「体操界では、きょうだいが同時に出場するのは初めてでした。レスリングではあったと聞いていますが」

 安達先生 その時は日本中全部が応援したという感じでしたね。

 「うれしいことでした」

 ―ロンドン五輪では個人では16位と少し残念な結果でしたが、団体では日本の2大会連続の決勝進出に貢献しました。改めてこの時の気持ちをお聞かせください。

 「当時は日本にとって決勝に行くことが目標でしたので、みんな全力を出しました。決勝で演技ができたのは良かったです」

 ―団体では満足できる演技ができましたか。

 「そうですね、団体は満足できました。びっくりするぐらい団体でやり切ったのか、個人総合の記憶があまりありません。無我夢中で、気付いたら試合が終わっていたという感じでした」

田中理恵さん(左)と安達知子名誉院長

田中理恵さん(左)と安達知子名誉院長

 ◇26歳で現役選手を引退 

 ―ロンドン五輪の翌年、2013年に引退しましたが、もうやり尽くしたという感じだったのでしょうか。

 「チームで一緒に練習していても、それまであまり他の選手の演技を気にすることはなく、試合に向けて自分の演技を高めることに集中できていました。でも、五輪が終わって続けようかどうしようかと迷っていた時に、他の選手の演技を見て、『ああやったらもっと上手にできるのになあ』とか、『こういう練習の仕方をするとうまくならないのに』とすごく思うようになりました。その時に『ああ、選手として終わりだな』と感じて引退しました」

 安達先生 次へのスタートという気持ちだったのでしょうね。

 「次は(これまでの経験を)伝えていきたいと思いました。『もっと楽しく練習したらいいのに』とか、『体操を楽しんでもらいたい』と思っていました」

 安達先生 引退された時はおいくつでしたか。

 「25歳で五輪に出て、その翌年ですから引退したのは26歳でした」

 ―大学院を経て、指導者としての道を歩まれていたと思いますが、大学を退職して進む道を変更されました。その理由は何でしたか。

 「結婚を機に、2017年に退職しました。18年に娘を出産する際は、安達先生にお世話になりました。結婚して家族を支えたいという気持ちと、2~3歳の子どもたちにスポーツは楽しいものだということを教えたくて、その環境づくりをしたかったのが退職の理由です」

 ―2~3歳の子どもといえば、幼児が対象ですね。

 「そうです。体操教室をやりたかったのです。それと30歳までに子どもを産みたいという気持ちがありましたが、ちょうど30歳で出産ができました」

 安達先生 30歳は日本の平均です。29歳が平均初婚年齢ですので、出産が30~31歳ということになります。それで言いますと、理恵さんはまさに日本の平均での初産年齢になります。母として、さらに子どもたちの発達に寄り添ったスポーツ指導のスタートですね。(了)

 田中理恵(たなか・りえ) 1987年6月11日、和歌山県生まれ。父親が保健体育教師で、母親も元体操選手という環境で育ち、6歳から体操を始めた。県立和歌山北高等学校から日本体育大学に進学。女子体操選手としては長身の157センチの体格を生かした演技で、2010年の世界体操選手権では日本女子で初めてとなるロンジン・エレガンス賞を受賞。12年の全日本選手権、NHK杯の女子個人総合でそれぞれ初優勝し、ロンドン五輪代表に。兄の和仁、弟の佑典も代表となり、体操史上初めての3きょうだいそろっての同時出場を果たした。13年に現役引退。公益財団法人日本体操協会理事。田中体操クラブゲストコーチとしてスポーツ・体操の普及活動などを行っている。

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