認知症 認知症の人への視線を考える

コロナ禍で困っているのは誰? (ジャーナリスト・佐賀由彦)【第2回】

 前回、介護施設での新型コロナウイルス感染症対策において、認知症の人は「困った人たち」とレッテルを貼られていると書いた。「感染対策の重要性を理解してくれない」「感染予防に協力的ではない」。だから、困った人たちだという。しかし、認知症の当事者たちだって、大いに困っていることをぜひ知ってほしい。

 ◇時計の針が戻された

 介護施設の入居者も「地域で暮らす人」である。これは、厚生労働省が進めてきた地域包括ケアシステムに基づく考え方だ。「重度な要介護状態となっても、住み慣れた地域で自分らしい暮らしを人生の最後まで続けることができるよう」というスローガンが掲げられ、介護施設も地域包括システムの概念図の一部に位置付けられている

おしゃべりの機会が減り、一人きりの時間が長くなった(写真はイメージです)=大隅孝之撮影

 また、介護施設が地域における貴重な社会資源となるため「地域に開かれた施設」を運営方針として打ち出す介護施設も多くなっていた。具体的には、施設と地域との往来を増やすというものだ。入居者は施設に閉じこもるのではなく、積極的に地域に出て、地域住民と同じような暮らし方をする。施設としては、地域の人をボランティアとして積極的に受け入れたり、祭りや盆踊りなどの主催者となったりするなど地域に貢献していこうとするものだ。そのほとんど全てが、コロナ禍においてできなくなってしまった。

 施設と地域との交流という観点からすれば、時計の針は明らかに戻されたのだ。

 ◇外出ができない

 入居者の外出が極めて難しくなった。地域の商店街に買い物に行けない、外食でおいしい物が食べられない。自宅で暮らす人にとっては普段の生活なのだが、施設で暮らす高齢者にとっては、買い物や外食は待ちに待ったイベントなのだ。その楽しみがなくなってしまった。

 そればかりか、散歩にすら行けない。入居者と職員が一緒に施設の付近を散歩していたら、住民から「コロナの時期に散歩などしていいのか」と苦情が寄せられ、散歩を自粛するようになったという。

 ◇自宅に帰れない

 在宅復帰の前提として「試験外泊」を行っている介護施設がある。1泊2日などで帰宅し、在宅生活を送る上で必要な対策を練るための一時帰宅だ。この試験外泊も休止となり、在宅復帰が遠のいた利用者もいる。

 在宅復帰が望めなくても、盆や正月などは家に帰り、家族と束の間の時間を過ごすことを喜びとしている入居者は多い。ところが、それも取りやめとなった。

 ◇施設内でも激変した日常

 介護施設内での暮らしにも大きな制限が加えられている。

 特別養護老人ホームや老人保健施設では、10人前後の単位で共同生活を行う「ユニットケア」が主流になりつつある。感染対策の観点から、ユニットをまたがる移動を制限している施設が多い。従来型の施設でも、フロア(階)間の移動に制限がある。その結果、フロアが異なる売店に行けないという事態が起こる。

 入居者同士が気楽に集まって、お茶を飲むという何気ない日常にも制限がかかる。これまでは、4〜5人で集まって、おしゃべりをしながらお茶を飲んでいたのだが「密を避ける」ために、一つのテーブルに座れる人が半数に減らされてしまった。大きな声で話したり、笑ったりすると職員からストップがかかる。楽しいおしゃべりタイムが消えてしまった。

ユニットの厨房では、利用者が薬味を刻んでいた。コロナ禍でこんな風景が見られなくなった(写真はイメージです)=大隅孝之撮影

 ◇失われた「役割」

 認知症の人も、施設内ではいろいろな「役割」を果たしてきた。ユニットケアでは、食事をユニット単位で行う。テーブルを拭いたり、おしぼりを出したり、食器を並べたり、後片付けをしたり…。コロナ禍の前は、入居者が手分けしてやっていた。ところが、入居者任せでは感染対策が不十分だ、と職員たちは考えた。

 ユニット内の厨房に職員と入居者が肩を並べて入ると密になる。食器洗いも職員だけで行うようになった。このようにして、認知症の人の役割はどんどん減っている。

 ◇配慮された環境を

 認知症の人たちは思っている以上に穏やかに暮らすことができるし、思いも寄らない力を発揮することもできる。そのためには、配慮された環境が必要だ。

 少なくとも、今回紹介したような感染予防のために、何気ない日常を犠牲にするという対応は、認知症の人たちが穏やかに暮らすことができ、力を発揮できるための環境とは言えない。

 地域との交流を絶たれ、半ば「監禁状態」に置かれる。楽しみが半減し、ささやかだが大切な「役割」を果たせない日々は、認知症の人たちの心身に大きなダメージを与えてしまう。実際、介護現場からは「認知レベルが低下した」「身体の機能が落ちた」といった声が聞こえてくる。

 ◇危機に見舞われる人たち

 認知症の人は、何も物事が分からないわけではない。新しいことが覚えづらくなり、記憶の一部が欠けているかもしれないが、できることはたくさんある。

 認知症の本人の視点に立てば、きのうまで、できていたことができなくなり、今までの自分ではなくなる得体の知れない不安に包まれる。いわゆる健常者よりも、センシティブな(感じやすい)感性を持っている。そんな感じやすい人が危機に見舞われている。

 ◇「不要不急」はない

 介護施設で感染対策を徹底している要因の一つは、職員側のおびえである。入居者の命を守りたいと思うばかりに、必要以上の対策を行っていることも少なくないのではないか。介護現場の取材を通じ、「正しく恐れることが大切」という声を何度も聞いた。

 「高齢者の日常に『不要不急』はない」

 首都圏にある介護施設は、通常に近い面会ができるように努力を続けている。施設長の強い言葉が印象に残る。

 認知症の人の外出やおしゃべり、ある役割を担う、といった日常は、果たして不要なのだろうか、不急なのだろうか。(了)

 ▼佐賀由彦(さが・よしひこ)さん略歴

 ジャーナリスト

 1954年、大分県別府市生まれ。早稲田大学社会科学部卒業。映像クリエーター。主に、医療・介護専門誌や単行本の編集・執筆、研修用映像の脚本執筆・演出・プロデュースを行ってきた。全国の医療・介護の現場(施設・在宅)を回り、インタビューを重ねながら、当事者たちの喜びや苦悩を含めた医療や介護の生々しい現状とあるべき姿を文章や映像でつづり続けている。




【関連記事】


認知症 認知症の人への視線を考える