歯学部トップインタビュー

日本最大級の総合大学、共同研究も充実
~新校舎で理想的な学習環境-日本大学歯学部~


インタビューに応える本田歯学部長

インタビューに応える本田歯学部長

 ◇顎関節症の面白さにのめり込む

 本田歯学部長は学生時代、アイスホッケー部(主将)と茶道部(下足番)で活動して、後は勉強の日々だったと振り返る。

 「本当に友人も多く、学生らしい学生だったと思います。卒業後は歯科放射線学講座の大学院に進み、教授から顎(がく)関節をテーマに与えられると、その面白さにのめり込みました」 

 大学院2年生で参加した国際学会で日本人は日本人だけで固まり、壁際に多くの先生方が集まっていた。その時にふと「いつか必ず中心に座ってみたい」と心に決め、ノルウエーのオスロ大学に留学。帰国後は、国際協力機構(JICA)の専門家としてスリランカに赴任。これは顎(がく)関節造影検査の第一人者として認められた結果だった。その後、精力的に英語論文を書いて、最終的には国際学会で数度の招待講演を行った。

 臨床では顎関節症の専門医として、顎関節腔へのステロイド剤やヒアルロン酸注入、噛み癖の修正、マッサージなど、さまざまな手技を駆使して患者の苦痛を取り除いてきた。

 「顎関節症の専門的な治療を行う施設が少ないので、患者さんからも『長年の痛みが解消された』と大変喜ばれます。実際に患者さんの痛みを取ってあげられることは最高の喜びです」

 今後の歯科医療、歯科医を目指す人にどんなことを期待されているかの問いに「一人の臨床歯科医師として『患者さん目線で患者さんと寄り添える歯科医師なること』。後は『新しい技術を開発する研究ができる歯科医師になること』ですね」

 本田歯学部長の夢は、世界に羽ばたく歯科医師が日本大学歯学部からたくさん育っていくこと。つまり、国際化に活路を見いだすべきだと思っている。そのためにも少子高齢化が進む中で、大学の生き残り戦略として考えているのが海外から学生を受け入れることだ。

 「これは私の夢ですが、日本でも世界で通用する歯科医のライセンスをつくり、海外からも積極的に学生を受け入れていきたい。コロナでリモート授業が定着したこともあり、海外からも聴講できるようにして、院内実習のみを日本で行うなどの対応も考えられます。教職員7000人、学生7万人のマンモス大学が生き残るためには、真剣にさまざまなことを考えていくべき時に来ています。林真理子新理事長、酒井健夫新学長も本気で日本大学を新生させたいという気持ちですから、新体制にとても期待しています」(ジャーナリスト・中山あゆみ)

 本田 和也(ほんだ・かずや) 1987年4月日本大学歯学部助手、2005年1月講師(専任扱)、07年12月歯学部教授 (現在に至る)、14年9月日本大学評議員 (22年6月まで)、17年9月 歯学部長 (現在に至る)、同年9月日本大学理事 (22年6月まで)、20年9月 日本大学副学長 (21年8月まで)、22年2月日本大学常務理事 (22年6月まで)

【日本大学歯学部 沿革】
1916年 東洋歯科医学校創立
  21年 財団法人東洋歯科医学専門学校を日本大学に移管
  23年 関東大震災で校舎全焼
  26年 日本大学歯科医学校(夜間)設置認可
  52年 日本大学歯学部歯学科(新制)設置認可
  56年 日本大学大学院歯学研究科設置認可
  76年 日本大学歯学部総合歯学研究所設置認可
2006年 歯学部4号館(歯学部80周年記念館)竣工
  16年 日本大学歯学部創設100周年
  22年 日本大学歯学部本館竣工

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